ピエール・エテックス
ピエール・エテックス(Pierre Étaix、-エテとも、1928年11月23日 - 2016年10月14日[1])は、フランスの俳優、映画監督、イラストレーター。 ギャグマン、イラストレーター、俳優、道化師と、多彩な才能を発揮。第18回カンヌ国際映画祭(1965年)に出品され、当時ゴダールが絶賛した監督・主演作『ヨーヨー』が、第60回カンヌ国際映画祭(2007年)カンヌ・クラシックスで修復版として公開された。 来歴・人物5歳のとき観に行ったサーカスで道化師に魅せられ、成長してミュージック・ホールやキャバレーで道化師として働く。 ジャック・タチのスタッフとなり、タチ映画の一連の非常に洗練されたポスターを担当した。また『ぼくの伯父さん』(1958年)では助監督に起用され、出演もした。エテックスは、アメリカ式バーレスクに近いタチ世界を、徹底的なギャグで念入りにつくりあげた。実際、バスター・キートン、ハロルド・ロイドやその他無声映画の喜劇王たちに対して、真の信仰を誓っている[2]。また、ジャン=クロード・カリエールがノベライゼーションした、『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』のイラストも担当した。 1961年、短編映画『破局』で監督デビュー。エテックスと共同で脚本を執筆したジャン=クロード・カリエールも、本作で脚本家デビューした。この短編は、カリエールが、初の長編映画『小間使の日記』(1963年)の共同脚本としてルイス・ブニュエルに抜擢されるきっかけとなった。続いて、製作した短編『幸福な結婚記念日』(監督・脚本・主演)で、アカデミー賞短編映画賞を受賞。 続けて、『女はコワイです』(1962年)そして『ヨーヨー』(1964年、いずれも共同脚本はカリエール)を製作。憂鬱に彩られたエテックスのユーモアは、彼が愛するサーカスの世界に向けての、力強いオマージュとなっている[2]。 舞台空間の支配者であるかのようなエテックス作品は、絶えず進化するギャグにより、フランスのバーレスクの代表的存在となった[2]。 1986年、ラ・ヴィレットのオムニマックスのための最初の作品の演出をオファーされる(『J'écris dans l'espace(私は宇宙で書く)』)。だが、この作品の失敗により、エテックスは映画に対する情熱を失った。また、俳優コリューシュ(Coluche)のための映画も企画していたが、彼の早世により企画は頓挫し、この出来事もエテックスを落胆させた[2]。 サーカス芸人で女優の、アニー・フラテリニと結婚し(1997年7月1日死別)、彼女とともにアニー・フラテリニサーカス学校を設立[2]。 フェデリコ・フェリーニの晩年のドキュメンタリー作品『フェリーニの道化師』にも、本人役で出演している。 本国フランスの法律上の権利問題が理由で長く劇場で上映されず、またソフト化もされていなかったが、上映権を取り戻すため、ジャン=リュック・ゴダールやレオス・カラックス、ミシェル・ゴンドリー、デヴィッド・リンチなどの映画人と映画ファンによる5万人以上の人々が署名活動に協力し、2010年に裁判で勝訴し、すべての権利を取り戻すことができた。その結果、ほとんどの作品がエテックス監修のもとデジタル・リマスター化が進み、多くの国で上映が実現し、以降エテックスの再評価が格段に進んだ。 日本でも2022年12月24日より長編『恋する男』(※日本初公開時の邦題:『女はコワイです』)『ヨーヨー』『健康でさえあれば』『大恋愛』短編『破局』『幸福な結婚記念日』『絶好調』と一連の監督作が全国で上映開始され(『恋する男』を除く6作品が日本では劇場正式初公開)[3]、2023年8月25日に前述の上映作が全て発売・HDレストアされたBlu-rayとして初めてソフト化された[4]。また、DVD版も発売され、U-nextで配信もされた。 フィルモグラフィー監督
出演
翻訳本
参考書籍
註
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