ピエール・マティスピエール・マティス(Pierre Matisse、1900年6月13日 - 1989年8月10日)は、フランス系アメリカ人の美術商である。ニューヨークを中心に活動した。フランスの画家アンリ・マティスの末っ子である。 生涯マティスは1900年6月13日にオー=ド=フランス地域圏のボアン=アン=ヴェルマンドワで生まれた。早くから美術市場に興味を示し、パリの画廊、ギャルリー・バルバザンジュで職を得た。その後、1924年に渡米した。 1931年、マティスはニューヨークのイースト57丁目41番地にあるフラー・ビルに自身の画廊、ピエール・マティス・ギャラリーをオープンさせた。この画廊は、1989年のマティスの死後に閉鎖されるまで、アメリカにおけるモダンアート運動に大きな影響を与えた。マティスは、多くはヨーロッパ在住の、一部北米在住のアーティストの代理人を務め、そのアーティストの初の展示会を自身の画廊で開催した。マティスが展示会を開いたアーティストには、ジョアン・ミロ、マルク・シャガール、アルベルト・ジャコメッティ、ジャン・デュビュッフェ、アンドレ・ドラン、イヴ・タンギー、ル・コルビュジエ、ポール・デルヴォー、ヴィフレド・ラム、ジャン=ポール・リオペル、バルテュス、レオノーラ・キャリントン、ザオ・ウーキー、サム・フランシス、シモン・アンタイ、彫刻家のセオドア・ロザック、レイモンド・メイソン、レッグ・バトラーなどがいる。他に、父アンリ・マティスを含むその他の重要なアーティストの展示会も開いている[1][2]。古代の美術品も扱っており、1937年にはオルメカ文明の小さな像をコネチカット州ハートフォードのワズワース・アテネウム美術館に売却した[3]。 私生活マティスは生涯に3度結婚している。 1929年、マティスはアレクシーナ・“ティーニー”・サトラー(Alexina "Teeny" Sattler)と結婚した。アレクシーナとの間にはポール、ジャクリーヌ(ジャッキー)、ピーターの3人の子供をもうけた。父アンリ・マティスはアレクシーナの肖像画も多数描いている。 マティスがシュールレアリスム画家ロベルト・マッタの元妻パトリシア・ケイン・マッタ(Patricia Kane Matta)と浮気したことにより、2人は1949年に離婚し、同年にマティスはパトリシアと再婚した[4]。その後アレクシーナは、マルセル・デュシャンと結婚してアレクシーナ・デュシャンとなった。 パトリシアとは1972年に死別した。 1974年、マティスはドイツ人外交官カール・フォン・シュプレティの娘であるマリア・ガエターナ・“タナ”・フォン・シュプレティ(Maria-Gaetana "Tana" von Spreti)と結婚した。 1989年8月10日、マティスはモナコで死去した。遺体はフランスのサン=ジャン=カップ=フェラに埋葬された。 脚注
情報源
外部リンク
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