ピンキー青木
ピンキー青木(ぴんきーあおき、本名:青木悟、1961年4月16日 - 2024年)は、日本のロック歌手。ザ・ファントムギフトのリードボーカルを務めていたことで知られる。大の愛猫家である。 経歴
幼少時代1974年、THE DOORSの1st.アルバム「ハートに火をつけて」を聴き、強烈な感銘を受ける。 1975年、中学2年の頃に贈られた初めて手にしたフォークギターに、エレキギターの弦を張ってLED ZEPPELINとかJimi Hendrix(この頃はタブ譜もなかった)を耳コピー[1]。 1977年、愛知県立豊橋東高等学校入学。高校1年の春にフェルナンデスのストラトキャスターを入手。園子温らとアマチュアロックバンド結成。当時のレパートリーはストラングラーズや頭脳警察のコピーが目立つ。アルチュール・ランボー、ボードレール、中原中也、小林秀雄、太宰治、ジャックスなどに多大な影響を受ける。 1981年、大学2年の9月に、バイト先でナポレオン山岸と知り合う。その後チャーリー森田を誘い、ナポレオン山岸が弟のケンを連れてる。ナポレオン山岸のアイデアで、バンド名を「ズルムケ」とか「青木悟と母屋解体」と考案。[2] ザ・ファントムギフト時代1982年、福生市、米軍横田基地にて、リードギターとしてバンド参加。 1983年、ザ・ファントムギフトを結成。ボーカル、作詞作曲を担当した。*初期メンバー(ピンキー、森田、山岸兄弟)その後、山岸ケン(弟)が大学受験でバンドを辞めてサリー久保田が加入。ネオGSブームの牽引役として、後世のバンドに多方面に渡り多大な影響を及ぼす。尚、ピンキー青木及びザ・ファントムギフトに感銘を受けたミュージシャン及び音楽評論家として、以下が代表的である。
1986年、多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。在学中、太宰治研究者である奥野健男の薫陶を受ける。 1989年、ザ・ファントムギフト脱退。 THE CRAZY LOVE MACHINE時代1990年、後にDragon Ashに加入する馬場育三らとPinky & The Crazy Love Machine(後にTHE CRAZY LOVE MACHINEと改名)を結成、1991年VIVID SOUNDよりアルバム『PINKY & THE CRAZY LOVE MACHINE』をリリース。 パンタ(頭脳警察)いわく、「ピンキーこと青木君とは古い付き合いになるが、当時、ネオGSの仕掛け人、先駆けとしての彼にはとても興味を覚えた物だ。その彼がニューグループとして戻ってきた。驚く無かれ、そのサウンドは黒のポップス、赤の叫び、群棲の激しい雄たけびの中のジャックスといったものだった。彼にとってはまだまだ新しい試みは尽きないのかもしれないが、とりあえず、その変身ぶりは、俺を驚愕のCHAOSの中へ招待してくれた!」という[4]。 ソロ活動![]() 1992年、Pink Boxよりソロ・アルバム『Pinky/Punk Alone』リリース。 1995年、自らのレーベル「Psych Up Records」設立。 1996年、米国カリフォルニア州サン・フランシスコにて海外では初のライヴ・コンサートに出演。バックのメンバーはThe MummiesのDrums:Russell Quan、The Phantom SurfersのBass:Michael Lucas。 1997年、米国カリフォルニア州パロアルト出身のガールズバンド、The Donnasの日本コンサート・ツアー企画、興行を主催。まだ、本国では無名だったThe Donnasの存在を世界に先駆け日本でブレイクさせる。後にアトランティック・レコードよりメジャー・デビュー。 2000年、ガレージパンクバンド、LA MONSTER VIOLENTAのリード・シンガーとして"Jenny The Deceiver" "Rock'n'Roll Bitch" "Che! CHe! Che!"3 tracks 7"EP(アナログ)をリリース。 2001年、米国のラジオ番組、WFMUにLA MONSTER VIOLENTAのPinky Aokiとして単独生出演。 2004年、米マサチューセッツ州ブライトンに移住。現地にて音楽活動を開始するが病気療養のため、2006年帰国。 2007年、1991-2007年までの未発表音源集、馬場育三(Bass)、長谷川陽平(Guitar)、藤掛正隆(Drums)在籍時代のTHE CRAZY LOVE MACHINEの未発表曲集、ピンキー青木 & K.N.R.S.、Pinky Aoki & FIRE ENGINE、LA MONSTER VIOLENTAの未発表曲、未発表テイクも含むソロアルバム『Unknown Goldmine』リリース。パンタ(頭脳警察)、Baki(GASTANK、MOSQUITO SPIRAL)、秋山勝彦(元P-MODEL)がゲスト参加。 PRM2011年、名古屋の某有名パンクバンドに在籍経験を持つMiki fresh、名古屋の某ゴシックバンドに在籍していたRyoと共に、PRMを結成。精力的なバンド活動を再開。 2015年6月12日、6月14日、ニューヨーク・ブルックリンでソロ・ライヴを決行。 人物
出演TV CM その他多数 ディスコグラフィー
楽曲提供(作詞)
関連事項
脚注出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia