ファビオ・デイヴソン・ロペス・マシエウ
ファビオ(Fábio)ことファビオ・デイヴソン・ロペス・マシエウ(ポルトガル語: Fábio Deivson Lopes Maciel、1980年9月30日 - )は、ブラジルのサッカー選手。フルミネンセFC所属。ポジションはGK。 クラブ歴1997年にウニオン・バンデイランテFCでプロデビューし、翌年アトレチコ・パラナエンセに移籍した。2000年にはクルゼイロECに期限付き移籍した。 2000年から2004年にかけてCRヴァスコ・ダ・ガマに所属し、2000年にはコパ・ド・ブラジル、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA、コパ・メルコスールを制した。 2005年からクルゼイロに復帰。2007シーズンの始めは非常に不安定なコンディションでミスも多く見られた。カンピオナート・ミネイロのアトレチコ・ミネイロ戦では相手フォワードがペナルティーボックスに近付いているにも関わらず、それよりも前に陣取っており、それによって得点された。これを観たクルゼイロのサポーターは彼をスターティングメンバーから外すように要請した。彼は偶然にもこの試合の直後に怪我を訴え、彼は3か月の離脱となった。なお彼はこの試合では負傷したような素振は特に見られなかった。7月半ばに復帰すると、再びレギュラーの座を確保、フォームも改善し、サポーターからも受け入れられ、代表にも招集された。同年11月には冬の移籍市場での移籍の噂も立っていた中で2009年12月までの契約延長を発表した[1]。2008年4月には、欧州連合に加盟する祖先の国籍を取得してACFフィオレンティーナに移籍するとの話が報じられたものの、これは実現しなかった[2] [リンク切れ]。 2022年1月21日、フルミネンセFCに加入した。 代表歴1997年にU-17代表で南米U-17選手権、1997 FIFA U-17世界選手権を制したメンバーである。 A代表としてはFIFAコンフェデレーションズカップ2003、コパ・アメリカ2004の際にブラジル代表に招集されたが出場機会は無かった。その後2006年8月16日にはドゥンガ監督からノルウェー代表との親善試合のメンバーに招集されたものの出場機会はなく、その後9月3日、5日に行われたアルゼンチン代表、ウェールズ代表戦でもエウレリョ・ゴメスの控えに甘んじ、出場できなかった。この時、彼は控えというポジションであった事を理解していながらも、ブラジル代表として招集された事を光栄に幸せに思っていると述べた。 個人成績
タイトルクラブ
代表
個人
脚注
外部リンク
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