フアン・オビエド
フアン・カルロス・オビエド(Juan Carlos Oviedo, 1982年3月15日 - )は、ドミニカ共和国・モンセニョール・ノウエル州ボナオ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2011年9月に偽名と年齢詐称が発覚するまではレオネル・ヌニェス・モラレス(Leonel Núñez Morales)と名乗っていた。1983年8月14日とされていた生年月日も、実際には1982年3月15日だった。プロ入り時に少しでも多くの契約金を得ることが目的で、名前とプロフィールは1歳年下の友人から借用していた[2]。 経歴パイレーツ傘下時代2000年2月16日にピッツバーグ・パイレーツと契約[1]。 ロイヤルズ時代2004年12月16日にベニート・サンティアゴとのトレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍した[3]。 2005年5月9日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビュー。 2007年には6試合に先発登板している。現時点で、このシーズン以外には一度も先発登板はしていない。同年6月にはオークランド・アスレチックスとの間でヌニェスとミルトン・ブラッドリーの交換トレードが合意されたが、公式発表の直前でブラッドリーが故障したため、急遽キャンセルされた[4]。 マーリンズ時代![]() (2009年4月29日) 2008年10月31日にマイク・ジェイコブスとのトレードでフロリダ・マーリンズに移籍した[5]。 2009年は、6月に故障者リスト入りしたマット・リンドストロムに代わるクローザーに指名され、26セーブを記録した[6]。 年俸調停の権利を得たヌニェスは、2010年1月に年俸200万ドルで1年契約を結んだ[1]。シーズンでは前年に引き続いてクローザーを任され、自身初の30セーブを達成。奪三振も、初めてイニング数を上回った。 2011年は1年365万ドルで契約延長[1]。チームは最下位に終わったが、自己最多の36セーブを記録した。しかし、防御率や奪三振率(K/9)は前年の水準を下回った。同年オフ、マーリンズは新たなクローザーとしてヒース・ベルを3年2700万ドルで獲得。これにより、一時はノンテンダーFAが濃厚という見方が強まっていたが[7]、2012年1月18日に600万ドルの1年契約で合意した[8]。しかし、9月6日にトミー・ジョン手術を受けた。オフの10月29日にFAとなった。 レイズ時代2013年1月22日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ[9]。前年の手術の影響で登板のないままシーズンを終え、球団が保有していた2014年のオプションをレイズが破棄したため、11月4日にFAとなった[10]。12月5日にレイズと150万ドルの1年契約で合意したことを発表した[11][12]。 2014年3月30日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りし、4月21日に復帰。復帰後は32試合に登板し、3勝3敗1セーブ、防御率3.69だったが、7月26日にDFAとなった[13]。8月3日に放出された。 レンジャーズ傘下時代2015年1月5日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[14]。3月28日に解雇となる。オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
外部リンク |
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