フアン・グティエレス (野球)
フアン・カルロス・グティエレス・アコスタ(Juan Carlos Gutiérrez Acosta, 1983年7月14日 - )は、ベネズエラ・アンソアテギ州プエルト・ラ・クルス出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 アメリカ球界での登録名はJ.C.グティエレス[1]。 経歴アストロズ時代2000年12月14日にヒューストン・アストロズと契約。 2001年と2002年はルーキー級ベネズエラン・サマーリーグ・アストロズでプレー。 2003年はルーキー級マーティンスビル・アストロズで16試合に登板し、1勝2敗2セーブ、防御率4.76だった。 2004年はルーキー級グリーンビル・アストロズで13試合に登板し、8勝2敗、防御率3.70だった。オフの11月19日にアストロズとメジャー契約を結んだ[2]。 2005年はA級レキシントン・レジェンズで22試合に登板し、9勝5敗、防御率3.21だった。8月にA+級セイラム・アバランシェへ昇格。3試合に登板し、1勝1敗、防御率3.00だった。 2006年はAA級コーパスクリスティ・フックスで20試合に登板し、8勝4敗、防御率3.04だった。 2007年3月1日にアストロズと1年契約に合意した[3]。開幕をAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎え、8月17日にメジャーへ昇格[4]。8月19日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビュー。8回裏から登板し、1回を無安打無失点1奪三振に抑えた。この年は7試合に登板し、1勝1敗、防御率5.91だった。 ダイヤモンドバックス時代2007年12月14日にホセ・バルベルデとのトレードで、クリス・バーク、チャド・クオルズと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[5]。 2008年はAAA級ツーソン・サイドワインダーズで25試合に登板し、5勝11敗、防御率6.09だった。 2009年は初の開幕ロースター入りを果たし、自己最多の65試合に登板。4勝3敗9セーブ、防御率4.06だった。 2010年も開幕ロースター入りし、58試合に登板。0勝6敗15セーブ、防御率5.08だった。 2011年も開幕ロースター入りしたが、5月25日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした。8月11日に60日間の故障者リストへ異動し、8月27日に右肘の故障で残りのシーズンを全休することを発表[6]。9月6日にトミー・ジョン手術を受け、残りの試合を欠場した。この年は20試合に登板し、防御率5.40だった。10月13日に放出された。 ロイヤルズ時代2011年12月13日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[7]。 2012年は前年の手術の影響で、7月からルーキー級アリゾナリーグ・ロイヤルズでプレー。4試合に登板し、0勝1敗、防御率17.36だった。7月中旬からAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへ昇格。5試合に登板し、0勝0敗3セーブ、防御率9.00だった。オフの10月18日にロイヤルズとマイナー契約で再契約し[8]、11月20日にロイヤルズとメジャー契約を結んだ[9]。 2013年は開幕ロースター入りし、25試合に登板。0勝1敗、防御率3.38だった。7月14日にDFAとなった[10]。 エンゼルス時代2013年7月24日にウェーバーでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した[11]。移籍後は28試合に登板し、1勝4敗、防御率5.19だった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[12]。 ジャイアンツ時代2014年1月6日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ3月29日にジャイアンツとメジャー契約を結び[13]、開幕ロースター入りした。12月22日にジャイアンツとマイナー契約で再契約する。 ジャイアンツ退団後2015年6月1日に契約破棄条項を行使し自由契約となり、10日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶ。8月3日に自由契約となり、11日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結ぶ。 2016年2月22日にナショナルズとマイナー契約で再契約。6月27日に解雇となり、7月13日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約。 2017年2月9日に解雇となり、5月2日にメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
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