フォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション
フォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション (Formula One Teams Association、FOTA) はF1世界選手権に参戦するチームが結成していた組織。2008年に発足し、2014年に解散。 概要FOTAはおもに以下のような活動を行っている。
構成加盟チーム
過去の加盟チーム
沿革発足2008年7月29日、フェラーリの本拠地マラネッロに全10チーム(フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ルノー、BMWザウバー、ホンダ、トヨタ、レッドブル、フォース・インディア、トロ・ロッソ)の代表が終結し、F1チームの連合体として設立に合意した[6]。同年9月11日のモンツァ会議にて調印を行い[7]、初代代表にはフェラーリ会長であるルカ・ディ・モンテゼモーロが就任した[8]。 以前のグランプリ・ワールド・チャンピオンシップ (GPWC) やグランプリ・マニュファクチャラーズ・アソシエーション (GPMA) も同様の目的をもっていたが、それらはF1に参戦する自動車メーカー(マニュファクチャラー)の同盟であった。GPWCから脱退し、GPMAには不参加だったフェラーリが、今回はリーダーシップを採った。 FIA対FOTAの対立FIAのマックス・モズレー前会長はかねてより自動車メーカー系チームの高コスト体質を批判していたが、世界金融危機発生後は急進的なコスト削減案を迫り、FOTAの反発を招くことになる。 2008年10月、モズレーは2010年よりスタンダードエンジンを導入することを発表し[9]、チーム側は撤退も辞さないという構えで反対した[10]。同年12月には入札の結果、コスワースがスタンダードエンジンの供給権を落札したが[11]、ホンダのF1撤退発表後に再協議が行われ、別案を推進することに合意した[12]。 →「コンコルド協定」および「2010年のF1世界選手権」も参照
2009年3月、FIAは2010年より年間予算制限案(バジェットキャップ)を採用すると発表した。しかし、4000万ポンド(約60億円)という上限額の厳しさに加え、ハンディキャップ付きの選択制という方法にFOTAは反発した。2010年の選手権へは条件付きでエントリー申請を行い、無条件で申請を行ったウィリアムズとフォース・インディアは除名処分とされた。残る加盟チームは欧州自動車工業会 (ACEA) やモナコGPの主催団体から支持を取り付け、6月18日に新シリーズ設立を表明した[13]
最終的に、FOTAはバジェットキャップの撤回とモズレーのFIA会長選不出馬という条件を引き出し、6月24日にFIAとの間で分裂回避に合意した[15]。9月9日には除名処分を受けていたウィリアムズとフォース・インディアの再加盟が認められた[16]。 2010年より新規エントリーが認められたUS F1、カンポス(HRT)、マノー(ヴァージン)もFOTAへ加盟したが、US F1は参戦を断念。トヨタとBMWのF1撤退、メルセデスのワークス参戦(ブラウンGP買収)、ザウバーとロータスの追加エントリーといった動きを経て、2010年の加盟数は12チームとなった。 リソース制限協定 (RRA)FOTAはFIAのバジェットキャップを拒否した一方、自主的にリソース制限協定 (Resource Restriction Agreement, RRA) を締結し、バジェットキャップ撤回後はこの紳士協定がコスト削減ルールとなった。2009年7月にサインが交わされ、翌2010年1月1日より施行された。期間は2012年までとされたが、その後2017年まで延長されている[17]。 RRAはチームの年間予算を1990年代のレベルまで引き下げることを目標としている。発表では2010年に前年比10〜30%、2011年に前年比20%のコストダウンを達成したとされている[17]。
しかし、実際には監視が難しい上に、公式規則ではないので、違反しても競技上のペナルティーを科される訳ではない。2011年にはチャンピオンチームであるレッドブルがRRAに違反しているのではないか、とFOTA内部で批判された[18][19]が、レッドブル側は「RRAの範囲内、現在の規則の範囲内で活動している。それによってコストを削ることができた。残念ながら、成功するとたたかれるようだ」反論している[20]。 2012年6月にはチーム側からFIAへの要請という形で、RRAをスポーティング・レギュレーションに導入し、FIAがチームの支出を監査するというプランが検討された[21]。しかし、レッドブルとトロ・ロッソが規則化に反対し、チーム間で合意が成立せず、2013年からの導入は見送られた[22]。 内紛2012年末に期限切れとなるコンコルド協定の更改を巡り、FOTAの交渉相手であるバーニー・エクレストンは「サーキット上でライバルである以上、FOTAは組織として機能しないだろう」と批判した[23]。実際に2010年以降は結束が緩み、FOTAから離脱するチームが相次いだ。 先ず、2010年12月にHRTが脱退。HRTは「FOTAは規模の大きいチームを優先している」として自らの主張が運営に反映されないことを理由としたが[3]、一方でFOTAの事務局側は理由を「HRTは2010年の会費を支払っていないため除名された」としており[24]、意見が対立している。 2011年には、FOTAが投資会社CVCキャピタルパートナーズからF1の株式の一部を取得する構えをみせた[25][26]ものの、RRAの有用性を巡って見解の不一致が表面化する。12月にはフェラーリ、レッドブルの2チームがFOTA脱退を表明したのに続き[4]、ザウバーも脱退を表明した[5]。またレッドブルの兄弟チームであるトロ・ロッソもFOTAを脱退する可能性が高いと報じられ[5]、後にFOTAの公式サイトからロゴが消滅したため、脱退したものと見られている。2013年時点で加盟数は7チームとなっている。 ただし、これら脱退したチームも前述の「Fan's Forum」などのイベントへの協力は続けており、2012年の日本GP直前に開かれたFOTA主催のファンミーティングには、小林可夢偉(ザウバー)、浜島裕英(フェラーリ)といったFOTAを脱退したチームの関係者が出席している[27]。日本GPで行われたFOTAの会議には、レッドブルとトロ・ロッソを除く全チームが出席した[28]。 解散コンコルド協定は2013年9月に更改条件の合意が成立(有効期限は2020年まで)。新協定の枠組みではFIA、FOMと6チーム(フェラーリ、レッドブル、マクラーレン、メルセデス、ウィリアムズ、それら以外の選手権最上位チーム)から成る「ストラテジーグループ」[29]がレギュレーション作成を検討することになり、FIAは2015年のバジェトキャップ導入を正式に告知した[30]。 2014年2月には会費未払いによる財政難、存続目的についての見解の行き詰まり、マーティン・ウィットマーシュ会長の所属チーム内での更迭などを理由に、FOTAの解散危機が報じられた[31]。そして、2月28日にはFOTA総務オリバー・ワインガーデンが「政治的、商業的展望の変化に直面し、メンバーが必要性を再考した結果」、解散という結論に至ったことを報告した[32]。 役員人物のプロフィールに関しては就任時の役職を記す。 代表
副代表
ワーキンググループ責任者
脚注
関連項目外部リンク |
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