フレディ・バイナム
![]() フレディ・リー・バイナム・ジュニア(Freddie Lee Bynum Jr. , 1980年3月15日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の元プロ野球選手(内野手)。 来歴・人物2000年にドラフト2巡目でオークランド・アスレチックスから指名を受け、プロ入り。オリオールズでは外野手登録となっているが、2006年はレフトが13試合、ライトが8試合、センターが3試合なのに対して、セカンドも18試合守っている。打撃は特別良くはない。2007年は、ショートを15試合守っている。 2008年にボルチモア・オリオールズより解雇された後、ワシントン・ナショナルズのマイナーリーグ組織でプレーしていた。アトランタ・ブレーブスに対して相性が良く、2006年は14打数4安打4打点で打率.286と、シーズン打率.257に比べると、高い水準を保っている。また、2006年は4本のホームランを放っているが、そのうち2本はこれもまたブレーブス戦で放っている。 2010年3月、オリックス・バファローズに入団。背番号は清原和博が引退して1年間空き番となっていた「5」。成績不振で解雇されたホセ・フェルナンデスと交渉決裂で退団したタフィ・ローズの後釜としてバルディリスと共に期待された。 開幕当初は主に代走要員として一軍に帯同。4月27日の対日本ハム戦で、前の試合で敗戦に繋がる痛恨の失策をした後藤光尊に替わって、二塁手として来日初スタメンとなるが、5回裏に痛恨のタイムリーエラーをし、それが決勝点となり敗れ、5月3日のソフトバンク戦で、同点で迎えた6回裏の無死満塁で代打起用され1球も振らず見逃し三振に終わり、翌日に二軍降格。チームのBクラスが決定した後、9月28日に一軍昇格し、残りの3試合でスタメン出場するが、公式戦最終試合の10月1日対ロッテ戦で、初回に逆転を許す失策をし、最終打席で内野ゴロながら来日初打点を記録するも、4-5で敗れ、ロッテはクライマックス・シリーズ進出を決める。一軍での試合出場は16、打率.138、1打点、二軍では74試合に出場して打率.282、リーグ最多の8三塁打、チーム最多の16盗塁。球団は翌年も契約を更新する方針で、10月のフェニックスリーグにも帯同し、10月23日の試合ではサイクル安打も達成した。しかし、条件面で折り合いがつかず、1年で退団した。 2011年、セントルイス・カージナルスとマイナー契約[1]、翌年に1年間独立リーグでプレーし[2]、その後は一般職に就く。 選手としての特徴本職の遊撃手を中心に内・外野の全ポジションを高いレベルでこなすユーティリティープレイヤー。俊足も持ち味であり、盗塁を得意としていた[3]。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク |
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