プティオはパリを去り、1934年からアメリカ合衆国ニューヨークのホテルセントレジス・ニューヨーク(英語版)(2015年以降はマリオット・インターナショナル所属)の「キングコールバー(英: King Cole Bar)」で働くようになる[5]。そこでプティオはウォッカをジンに替え、レモンジュース、セロリソルト、ブラックペッパー、カイエンペッパー、ウスターソースを加えるなどの改良を行い、「レッド・スナッパー(英: Red Snapper)」と名を替えて提供するようになる[5]。これは「ブラッディ・マリー」という名称がホテルのエレガントな雰囲気に合わないというホテル側からの要望があったためである[5][8]。後に元のウォッカによるカクテルも同名のレッド・スナッパーで提供するようになる。これによって、セントレジス・ニューヨークをブラッディ・マリーの発祥の地とすることがある[8][9]
ハリーズ・ニューヨーク・バーではトマトジュースを使ったプティオのカクテルを当初「Bucket of Blood」の名で提供していた。店の常連客にマリーという女性がいたが、マリーは相手の男性にいつも待ちぼうけを食わされ、プティオのカクテルを寂しそうに飲んでいた。その様子がまるで、長期間幽閉されたメアリー (スコットランド女王)に相通じるものがあったことから名づけられた[11]。
^ abcdefVincenzo Marianella; James O. Fraioli (2017). “RED SNAPPER (THE ORIGINAL BLOODY MARY)” (英語). The New Bloody Mary :More Than 75 Classics, Riffs & Contemporary Recipes for the Modern Bar. Skyhorse Publishing. ISBN9781510716698