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議論が混乱しそうなので、小見出しをつけて整理します。意見を書かれた方は整理していただけるとありがたいです。私の方で整理してもよければ該当者の分を整理しますので此処の下に署名してください。なお、これをもって投票とするわけではありません。書式に不備があれば修正は大歓迎です。--Kk8998982(会話) 2013年3月18日 (月) 08:36 (UTC)返信
- 私の記述不足で、改善されていないのですが、私的には、議論は、議論の説で、結論を各候補の所に署名して頂けると有り難かったのですが。時間のあるときに、整理の案を私の利用者ページに作ってみようと思います。最終的に改名するにしても、現状維持にするにしても、ローカルルールのようなものができればと思っています。--Kk8998982(会話) 2013年3月21日 (木) 04:24 (UTC)返信
改名動議に対する議論
はじめまして。ノート:交響曲第7番 (シューベルト)で議論しているのですが、改名するとすると、大ごとになりそうなので、こちらに議論の場を移したほうがよろしいでしょうか?クラシック音楽を執筆されている方に、指針等を示していただけるとありがたいです。迂闊に触って無用の摩擦を生じるのは不本意なのでよろしくお願いいたします。遅まきながら、フランツ・シューベルト#交響曲の番号付けは先ほど一読いたしました。--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 02:51 (UTC)返信
- とりあえず対象となる、シューベルトの交響曲の一覧です。一部修正--Kk8998982(会話) 2013年3月18日 (月) 10:10 (UTC)返信
--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 03:26 (UTC)返信
- とりあえず改名提案の告知と、テンプレートの貼り付けを行いました。
(告知内容の転記)
(転記終わり)--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 04:04 (UTC)返信
- 最初の議論の参加者です。積極的に改名に賛成するわけではありませんが、不合理な改名をされると困ると思い、意見を述べました。一部繰り返しにもなりますが、私の意見はこうです。
- 通称の「ザ・グレート」を記事名に入れるのだけは断固反対します。
- D番号を入れるのなら、曖昧さ回避の点から考えれば (シューベルト) を入れる必要はありません。
--133.205.5.42 2013年3月16日 (土) 05:49 (UTC)返信
- 133.205.5.42さん有難うございます。とりあえず、他の方のご意見も聞いてみたいと思います。普通の改名提案件(1週間改名反対意見が表明されなければ改名可)よりは時間を掛けたいと思っています。「不合理な改名」を強行する積りもありません。ただ、長年未完成交響曲が”第8番”で親しんできたものからすれば、いつの間にか”第7番”にされている事の方が遥かに”不条理(不合理ではないですね)”と感じます。(あくまでたとえ話ですが)私はどちらかというとマーラーのファンですが、今後未発見の交響曲が出てきて、「巨人」が”交響曲第2番”なんてことにいつの間にかなっていたら仰天すると思います。--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 06:20 (UTC)返信
- ザ・グレートの方は、具体的な代案を出して頂ければ助かります。ただ、向こうの方で書きましたが、専門家的に正しい名前でも、一般人がたどり着けないのでは「百科事典」の意味を成しませんので。今後のために、どうせなら妥当なルールを作ってから改名に着手するほうが有益と考え、議論の場所をこちらに移しました。--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 06:28 (UTC)返信
- 類推がきくと思ったので敢えて代案を出さなかったのですが、形式としては
- 共通性を重視するなら「交響曲○○調Dxx」または「交響曲Dxx」
- 「未完成」の方は「交響曲ロ短調 (シューベルト)」でも可
- というところです。
- 念のため述べておくと、「ザ・グレート」の付加に反対するのは、それがWikipedia:記事名の付け方のガイドラインに反するからです。
- このサイズの大きなページは呼び出すだけで一苦労ですし、言うだけのことは言いましたので、後の議論は他の方々にお願いします。--133.205.3.174 2013年3月16日 (土) 07:00 (UTC)返信
(タブ戻します)Wikipedia:記事名の付け方を再読しました。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、方針ではありません。と有ります。何事にも原則と例外があり、原則を墨守すると不都合が生じる場合に例外が適用ないし作られます。昔ノモンハンのリダイレクト先の変更で喧嘩になりかけましたが、ともすると専門知識に豊富な方は、一般人の不便を無視しがちです。(詳細はこちらを見てください)--Kk8998982(会話) 2013年3月16日 (土) 07:22 (UTC)返信
現状維持。シューベルトの交響曲がなにに基づいて付番され、どのように変遷してきたか、出典に基づいて書くことがいちばん重要で、番号はその結果にすぎません。国際シューベルト協会の見解を覆すほどの根拠があれば話は別ですが。いわゆる「未完成交響曲」がかつて8番でいま7番とされていても、記事にその旨説明があって案内されていれば、8番で検索した人も目的の記事にたどりつきます。逆に、番号がなく、調性やドイチュ番号だけの記事名では、「7番」で検索してもたどりつけません。なお、私は「グレート」の第7番やドヴォルザークの「新世界」が第5番とされていたころも知っている世代ですが、ウィキペディアでは個人的な違和感に基づく改名議論がしばしば無益かつ不毛な結果を生んでいるのを見ており、今後はご配慮いただきたいと思います。--みっち(会話) 2013年3月17日 (日) 00:21 (UTC)返信
- みっちさんコメント有難うございます。むしろ、Wikipedia外で論争(?)が収まっていないものを此処で合意に達するのは不可能なので、私は個人的な思い入れを度外視して、番号を外してしまうのが良いと思ったからです。私は持論を押し通す積りはありません。詳細はこちらを確認してください。むしろルールを明確にしたいと思いましたので、一石を投じた次第です。IP番号の方と議論しているうちに、未完成交響曲が7番か8番かで争うより、決着が付いていなくて、将来も変動する恐れがあるなら、いっそのこと番号をはずしてしまうほうが「建設的」で、Wikipedia:中立的な観点」の方針に適うと思った次第です。--Kk8998982(会話) 2013年3月17日 (日) 06:12 (UTC)返信
- 補足です。「不毛な論争を防ぐ」為なら、例えばしかるべきところに「シーベルトの交響曲の番号は国際シューベルト協会に従うことで合意しています」みたいな案内があれば、(場合によっては、改定のあった経緯等がどこかで説明されていれば)、短絡的な「移動合戦」も防げると思ったからです。フランツ・シューベルト#交響曲の番号付けも参照、のような案内が上にあれば、無用なトラブルも防げるかもしれません。ただ、私が最初に交響曲第7番 (シューベルト)を見たときの最初の印象は、正直に言えば「誰が勝手に未完成交響曲を7番と決めたんだ!!!(怒り)」という事です。現在はだいぶ冷静になっていますが、どうせなら、同じ思いをする人がもう出て欲しくないなと思った次第です。--Kk8998982(会話) 2013年3月17日 (日) 06:33 (UTC)返信
(タブを戻します)「検索でたどり着けない」は適切なリダイレクトを設置すれば解消されます。ご存知とは思いますが、移動の際に移動元(旧名)は移送先(新名)へのリダイレクトに自動的になります。--Kk8998982(会話) 2013年3月17日 (日) 07:13 (UTC)返信
反対 某有名国立大学のオケに在籍している時に“未完成”も“グレート”もウハウハで演奏した経験がある者だが、その時、誰も“シューベルトの交響曲第何番”という言い方はしなかった。それくらい、“未完成”や“グレート”という固有名詞はクラッシック愛好家には浸透してしまっている。実際、各々のパート譜にはドイツ語で交響曲3番とか5番とか今現在聞かされている番号とは全く違う番号が書かれていたように記憶している。シューベルトに限らず、18世紀までの作曲家の交響曲の番号は発行順であることが多いため、とても番号だけでシューベルトのこの有名交響曲を表現する気にはなれない。多くのクラッシック愛好家も同じ想いであろう。また、クラッシックは全然聴かないという人でも、“未完成”とか“グレート”とか交響曲に名前が付いていることを知れば、そちらのほうが印象が強くなることも明らかであろう。よって、“未完成”や“グレート”をわざわざ外して、(作曲順として最も妥当な数字と考えることはできるが、歴史的には不正確ないし曖昧な)数字と(代表的な)曲調と作曲家の名前だけで簡潔な記事名にすべきであるという考え方よりも、1) 認知度の高さ、2)見つけやすさ、3)曖昧さの無さ、5)首尾一貫性(Wikipedia:記事名の付け方)を重視した記事名にすべきだというWikipediaの方針そのままの意見とならざるを得ない。なお、私個人が4) 簡潔さという観点をも加えてWikipediaにおいてあるべき記事名を考えてみる時、『未完成交響曲』、および、『グレート交響曲』『交響曲グレート』『ザ・グレート交響曲』『交響曲ザ・グレート』のいずれかで必要十分となる。チャイコフスキーの交響曲第6番が『悲愴交響曲』、ベートーヴェンの交響曲第9番合唱付きが『第九』だけで通ってしまうのと全く同じ原理である。 -- NeedsLove(会話) 2013年3月17日 (日) 23:17 (UTC)、補足 -- NeedsLove(会話) 2013年3月17日 (日) 23:28 (UTC)返信
- NeedsLoveさんコメント有難うございます。現在改名について議論中なので、反対=改名しない=現状維持となります。(現状は交響曲第7番 (シューベルト)と交響曲第8番 (シューベルト)です)私は、改名案は「たたき台」として出しておりますので、より多くの人に賛同してもらえるような改名案になればよいと思います。もし、「改名しない」という意見が多数を占めれば、改名動議そのものがボツになりますし、「改名はすべきだが、改名案は分かれる」のであれば、投票で多数決を決めることになります。その点再度整理して意見表明していただけるとありがたいです。因みに私は「未完成」とか「グレート」とかを付ける事には賛成派ですが、交響曲第5番 (ベートーヴェン)の例のように、Wikipediaでは通称は付けないのが通例になっているようです。なお、シューベルトの未完成交響曲は複数あるとの事なので、未完成交響曲の場合は別に曖昧回避ページを作るか、箇条書き形式で作ることになりそうです。--Kk8998982(会話) 2013年3月18日 (月) 08:12 (UTC)返信
- 私は記事内容に寄与しない改名論議など馬鹿馬鹿しい限りと思っている人間なのでもう退散しますが、なおすすめるおつもりなら、せめて次の点についてお願いしておきます。まず国際シューベルト協会の見解を採らない理由を出典付きで明確にすること。個人の演説は無用です。またWikipedia:記事名の付け方に基づき、改名候補にはそれを採用している「信頼できる情報源」をお示し下さい。アマゾンの見出しや個人ブログで使われている通称や略称などは検討に値しません。記事名から番号を外す客観的な根拠がなければ、それは建設的でも中立的でもなく「独自研究」でしょう。なおリダイレクトについては、7番から「未完成」とホ長調のスケッチ、8番から「グレート」と「未完成」の両方にリダイレクトすることはできないため、7番から「未完成」へ、8番から「グレート」へひも付けるということでいいのですか? だとすると現状をなぞるだけで、他の交響曲記事との記事名の一貫性を壊してまでわざわざ改名する意味がわかりませんし、Kk8998982さんのお言葉を借りれば、未完成交響曲を7番として受け入れている人、8番として受け入れている人の両方から「誰が勝手に未完成交響曲を番号なしと決めたんだ!!!(怒り)」ということになるわけですが、あえてその状態を望まれるということですよね。以上、あとはお任せします。--みっち(会話) 2013年3月19日 (火) 11:10 (UTC)返信
WP:NOR
- 1) 国際シューベルト協会の見解を採らない理由を出典付きで明確にすること とUser:みっちさんは言っておられますが、「国際シューベルト協会(de:Internationales Franz-Schubert-Institut)」なる団体は、他のシューベルト関連の諸々の著作物の法的権利を侵害してまでシューベルトの交響曲の番号を改竄してしまったことが致命傷になってしまったのか、既にこの世には存在しておりません。8年前(2005年)に、シューベルトの交響曲の番号を改竄したまんま、無責任にもトンズラしてしまっております。ネット検索しても、その国際シューベルト協会の見解なるものも、全く見当たりません。従って、既に存在していない国際シューベルト協会の見解 を採用して記事名の根拠としている人たちのほうこそ、諸々の著作権的問題や虚偽表示的な問題にもかかわらず、インターネットでは既にどこにも見当たらなくなってしまっている過去の遺物みたいな国際シューベルト協会の見解 なるものに一体どういうわけで今なお固執し続けることが正しい選択だと考えられるのかを先ずUser:みっちさん等がしっかり具体的根拠ある論理的説明をみんなにしてくれなければなりません。説明できるのであれば、の話ですが。説明できるのであれば、User:みっちさん等が、現行の記事名の根拠だと言い張り続けている以上、大至急説明して下さい。そして、国際シューベルト協会の見解 なるものの国際的正当性・歴史的正当性・現実的正当性・Wikipedia的正当性について十分に説明できない程度なのであれば、現行のD729、D754(未完成)、D944(グレイト)の交響曲としての番号は、それぞれ元通り、7番、8番、9番に戻しておくのが適当であろうということにならざるを得ません。何か反論はありますか。反論がある場合は、必ず先に、問題の国際シューベルト協会の見解 なるものによる交響曲の番号の改竄の国際的正当性・歴史的正当性・現実的正当性・Wikipedia的正当性について十分に説明しておいてからにしてください。そういう、反論の名に値する具体的根拠ある論理的な反論のみを反論と限定させてもらいます。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 17:42 (UTC), 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 2) また、Franz-Schubert-Institut(あるいは[1])を名乗る団体がありますが、「国際シューベルト協会(de:Internationales Franz-Schubert-Institut)」の後継機関のつもりなんだろうと思っていろいろ質問してみたところ、Dr.Deen Larsenという人から"The Franz-Schubert-Institut in Baden bei Wien has nothing whatever to do with the International Franz Schubert Institut in Vienna."と教えられてしまいました。つまり、本国ドイツのシューベルト愛好家たちから、国際シューベルト協会なる団体は関係を持とうとさえ全くされなかったし、2005年までには完全に見捨てられてしまっていたということです。国内の協会とすら言えない団体が大ボラ吹かして「国際」「協会」と名乗っていたということになります。そういう、本国ドイツのシューベルト愛好家たちからさえ見捨てられていた、反社会的・反シューベルト的・反シューベルティアン的な国際シューベルト協会の見解 なるものに従う義理など既に誰にも全くないということは自明過ぎるほど自明であると思われます。何か反論はありますか。反論の名に値する具体的根拠ある論理的な反論のみを有効な反論と限定させてもらいますが。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 17:42 (UTC), 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 3) よって、User:みっちさんが言っておられる国際シューベルト協会の見解 なるものは、今現在、国際シューベルト協会の見解 と偉そうに上から目線で言えるものでは全くあり得なくなっていることが明らかである上に、本国ドイツのシューベルト愛好家からさえ見捨てられていた過去の遺物に過ぎないということまで明らかであるわけであり、シューベルトの交響曲の番号を無神経に改竄してしまったde:Walther Dürr個人、de:Arnold Feil個人、および、de:Neue Schubert-Ausgabe(実はこのネーミングからして極めて無責任であり、新シューベルト全集と日本語訳すると一見もっともらしくなるものの、直訳すると、誰の研究に依るのか、どの出版社によるものなのかを誤魔化すための「新シューベルト版」でしかない)ということで楽譜を売っているべーレンライター社(de:Bärenreiter-Verlag)の個人的意見程度のものに過ぎません。しかも彼らの個人的意見程度では(半分以上ドイツ語表示の)ドイツアマゾンでCDやスコアを売っている音楽レーベルや音楽出版社でさえ全く説得できておりません。というより、彼らの個人的見解(Wikipediaで言うところの「独自研究」)だけではもはやドイツ本国内でさえ説得することは全く不可能であると断言して既に何ら差し支えはないと思われます[2][3][4][5][6]。よって、de:Walther Dürr個人、de:Arnold Feil個人、およびべーレンライター社(de:Bärenreiter-Verlag)の「独自研究」でしかない番号改竄など、もはや無視せざるを得ないわけです。Wikipedia:記事名の付け方からも、(本国ドイツでさえ)認知度が低すぎて認識しづらく、不自然でリンクしにくく、甚だ曖昧になってしまい、簡潔でもなく、「シューベルトの交響曲第7番、第8番、第9番」という固有名詞としての歴史的首尾一貫性をも完全に失わせてしまう彼らの独自研究に依存しているだけの日本語版の現行の記事名は、Wikipediaの記事名としては100%却下せざるを得ないものであるということも極めて明瞭なわけです。何か反論はありますか。反論の名に値する具体的根拠ある論理的な反論に限定させてもらいますが。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 17:42 (UTC), 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 4) 以上より、現行の記事名、即ち、
- は、余りにも歴史や他のシューベルト関連の著作物の著作権等を無視しまくっている傍若無人な"独自研究"である上に、"明らかにページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき"に完全に該当してしまくっている極めて不適切な記事名であることも極めて明らかでありますので、Wikipediaのページ改名の方針により実は直ちに改名しても構わない明らかに不適切な記事名ということにならざるを得ません。何か反論はありますか。反論の名に値する具体的根拠ある論理的な反論に限定させてもらいますが。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 17:42 (UTC), 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 5) de:Walther Dürr個人、de:Arnold Feil個人、およびべーレンライター社(de:Bärenreiter-Verlag)の売らんかな願望みたいな独自研究に基づく、Wikipediaの記事名としては余りにも不適切過ぎる記事名は、英語版の場合は、日本語版・ドイツ語版とは全く違って、最初の最初っから今に至るまで全く採用されておりません。改名提案すら全く行われていません。以下のようになっております。そして、交響曲の番号は一貫してこのままで全く動いておりません。
- 従って、日本語版でも、上で既に述べた理由から、以下のように直ちに(つまり改名提案やコンセンサスなしで)変更することについてだけは"Wikipediaのページの改名の方針"の通りであり全く問題ないと判断せざるを得ません。
- 何か反論はありますか。反論の名に値する具体的根拠ある論理的な反論に限定させてもらいますが。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 17:42 (UTC), 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 6) 未完成交響曲・グレイト交響曲への詳細な改名理由については、既に下で説明しております。どちらも、Wikipedia:記事名の付け方( 1)認知度の高さ、2)見つけやすさ、3)曖昧さの無さ、4) 簡潔さ、5)首尾一貫性 )に最も合致している記事名であり、交響曲の番号について「国際フランツ・シューベルト協会」等のために全く不当に混乱をもたらされているこの状況では、5)の記事名に直ちに改名することについてだけは何ら問題がないということも既に説明しました。そこで手順として先ず第1段階。
- 現行の交響曲第7番 (シューベルト) → 未完成交響曲 と改名。
- 現行の交響曲第8番 (シューベルト) → グレイト交響曲 と改名。
- 現行の交響曲第9番 (シューベルト) から 交響曲第8番 (シューベルト)へのリダイレクトページを完全削除。
- 元の交響曲第7番 (シューベルト)を D729 ( 記事名は "交響曲 ホ長調, D729" あるいは "交響曲第7番 (シューベルト)" など)のために完全に明けておく(ノートもろとも完全削除)。
- 元の交響曲第8番 (シューベルト)を D759 ( 記事名は "未完成交響曲" あるいは "交響曲第8番 (シューベルト)" など)のために完全に明けておく(ノートもろとも完全削除)。
- 元の交響曲第7番 (シューベルト) から 交響曲 ホ長調, D729へのリダイレクトページを作成。
- 元の交響曲第8番 (シューベルト) から 未完成交響曲へのリダイレクトページを作成。
- 元の交響曲第9番 (シューベルト) から グレイト交響曲へのリダイレクトページを作成。
- ここまでが第1段階。ここまでで必要十分。特に「国際フランツ・シューベルト協会」派=「べーレンライター版」派=彼らによって改竄された交響曲の番号を正当であるかのように主張する者——が1人でもいる間は。この第1段階については、責任感のある頭のいい管理人さんでも、気の利いた一般の誰かでも、既に説明してある通り、やってもらっておいていただいても全く構いません。既に説明してある通り、現行の記事名は、Wikipedia:記事名の付け方( 1)認知度の高さ、2)見つけやすさ、3)曖昧さの無さ、4) 簡潔さ、5)首尾一貫性 )に露骨に違反しまくっている極度に不適切な記事名であり、かつ、直ちに改名して構わない記事名であることは余りにも明々白々でありますので。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
- 7) 「国際フランツ・シューベルト協会」派=「べーレンライター版」派=彼らによって改竄された交響曲の番号を正当であるかのように主張する者——が1人もいなくなったことを確認してから、以下の第2段階に入る予定です。
- D729(ホ長調)について、記事名を a) "交響曲 ホ長調 D729" のままとするか、 b) 交響曲第7番 (シューベルト) とするか、c) その他にするか、で確認の議論と投票。
- D759(未完成)について、記事名を a) "未完成交響曲" のままとするか、 b) 交響曲第8番 (シューベルト) とするか、c) その他にするか、で確認の議論と投票。
- D944(グレイト)について、記事名を a) "グレイト交響曲" のままとするか、 b) 交響曲第9番 (シューベルト) とするか、c) その他にするか、で確認の議論と投票。
- 「国際フランツ・シューベルト協会」派=「べーレンライター版」派=彼らによって改竄された交響曲の番号を正当であるかのように主張する者——が1人でも現れた場合は、第1段階に戻り、「国際フランツ・シューベルト協会」「べーレンライター版」によって改竄されたシューベルトの交響曲の番号の国際的正当性・歴史的正当性・現実的正当性・Wikipedia的正当性について、その方に十分に説明し続けてもらい、かつ、質疑応答し続けてもらいます。この第2段階についても、期間を十分に取って(最低3ヵ月)状況を十分見極めた上でなら、管理人さんでも誰でも判断・実行していただいて全然かまいません。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月2日 (火) 20:32 (UTC)返信
(重要なことなので、『未完成交響曲』・『グレイト交響曲』への上記改名提案の告知内容の転記)
(告知内容の転記終わり)
-- NeedsLove(会話) 2013年4月3日 (水) 12:23 (UTC)返信
- 何とも恣意的で誤謬に満ちたご意見ですね。
1)については、下でRyota7906さんが仰っている通りです。新シューベルト全集を編纂している国際シューベルト協会は、NeedsLoveさんが口汚く罵っておいでのInternationales Franz-Schubert-Institutではなく、Internationale Schubert-Gesellschaft e.V.です。ホームページもNeue Schubert-Ausgabeとして存在しますし、現在も活動しています。NeedsLoveさんが仰っていることは完全に誤りです。
2)については、Deen Larsen氏が仰っておられるのは、バーデン・バイ・ウィーンのFranz-Schubert-InstitutとウィーンのInternational Franz Schubert Institutは関係がないと言っているだけです。どちらがどちらを見捨てたという話ではありませんし、そもそもどちらの団体も新シューベルト全集の編纂団体でありません。
3)についてもRyota7906さんが言及されておいでの通り、マインツ科学・文学アカデミー、オーストリア科学アカデミーおよびウィーン市の後援を受けて活動しており、個人的見解・独自研究でないことは明らかです。
4)以上をもって現行の記事名を批判する根拠は失われています。
5)これもRyota7906さんが指摘して下さっていますが、ベーレンライター版だけでなく、新シューベルト全集以後のスコアは、いずれも1978年のドイチュ番号カタログ以後は、多くがロ短調を7番とする番号付けを採用しています。
6)〜7)以上から、新シューベルト全集の番号付けを採用した現行の記事名を支持するのですが、1万歩譲って新シューベルト全集の番号を採用しないとするならば、8番をロ短調、9番をハ長調とする旧来の番号あるいは、ドイツ語版のようにロ短調、ハ長調を採用すればよいのであって、未完成交響曲やグレイト交響曲という名称を記事名とする必要はありません。--汲平(会話) 2013年4月4日 (木) 12:48 (UTC) --修正汲平(会話) 2013年4月5日 (金) 11:33 (UTC)返信
- 少しだけ議論に参加させていただきます。本議論は「シューベルトの交響曲で一般的に『未完成』『(ザ・)グレート』と通称されている作品の記事名について、通番にも諸説あり調性を付加しての立項も困難(特に後者の場合)であることから、通称を記事名に組み入れてはどうか」という議論であると個人的には認識しております。その御趣旨自体には賛同するにやぶさかではないのですが、それに対して御提案されている『未完成交響曲』『グレイト交響曲』(もしくは『グレート交響曲』)という記事名にはいささかの危惧を憶えます。
- 「そんな誤解は記事の中身を読めば生じる訳は無い!」と言われるかもしれませんが、ここで問題になっているのはあくまで記事の中身が読まれる前の"記事名"についてですので、もし私が危惧しているような誤解が生じる虞があるようであれば(確かに無いかもしれないのですが)御一考加えていただければ幸いです。具体案も示さずの発言、お許しくださいませ。--124.255.195.173 2013年4月18日 (木) 15:23 (UTC)返信
本件で何らかの結論が得られるようなら、Category:モーツァルトのピアノソナタの最後の4曲の見直しもそれを踏まえて行った方が良いかも知れません。--133.205.5.151 2013年3月23日 (土) 02:59 (UTC)返信
意見表明
改名そのものに反対
現状の名前は以下の通りです。--Kk8998982(会話) 2013年3月18日 (月) 08:59 (UTC)返信
- 次に、シューベルトの交響曲の版というサイトにより(本来ならこのサイトの出典である金子建志氏の著書「こだわり派のための名曲徹底分析 交響曲の名曲1」(音楽之友社)に当たらなければならないところですが、絶版になっています)、シューベルトの交響曲の番号の変遷を見てみますと、「第8番未完成」「第9番グレート」となったのは、1951年にドイチュによる作品目録が作られて以降のようです。つまり「第8番未完成」「第9番グレート」という多くの方にお馴染みの番号には、実はたかだか60年ほどの歴史しかないことになります(さらに言えば、このすぐあとに述べる番号改訂までは、ドイチュの目録作成から27年しか経過していません)。
- その後、1978年に、ワルター・デュルとアーノルト・ファイル他によるドイチュ番号カタログ改訂版が出て、このときにシューベルトの交響曲の番号が「第7番未完成」「第8番グレート」となったもののようです。それ以降に出版されたスコアはショット版、ペータース版、ブライトコプフ新版、ベーレンライター版とも「第7番未完成」としており、ベーレンライター版すなわち国際シューベルト協会によるNeue Schubert-Ausgabeのみがこの番号を採用しているのではないことが分かります。また、このサイトでは1983年版が「番号なし」となっているオイレンブルク新版ですが、NeedsLoveさんにお示しいただいたドイツアマゾンのページ[7][8]によれば、1986年版が「第8番未完成」「第9番グレート」なのに対し、2007年版は「第7番未完成」「第8番グレート」となっています。これは、この20年ほどの間に後者の番号付けが浸透してきていることを示すものと言えます。
- 現在発売されているCDはほとんどが「第8番未完成」「第9番ザ・グレート」と表記されているようですが、NHKおよびNHK交響楽団の公演では「第7番未完成」「第8番グレート」が用いられています(ただしNHKの放送では多くの場合、番号付けに関する補足説明が行われるようですが)。
- ウィキペディアは百科事典プロジェクトですので、たとえ人口に広く膾炙した通称があったとしても、権威ある学術的研究成果に基づくもので、一定以上の受容実績もある名称に依っておくほうが妥当かと思われますがいかがでしょうか。
- 彼らより遙かに権威のある人たちを差し置いておいて一体何を言っておられるんでしょうか?と。Neuen Schubert-Ausgabe のページのボス2人, de:Walther Dürrとde:Walburga Litschauer、そして、de:Internationales Franz-Schubert-Institutとをよ~く見てください。としか。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月4日 (木) 09:52 (UTC)返信
- 「彼らより遙かに権威のある人たち」の「彼ら」とはde:Walther Dürrやde:Arnold Feilらのことかと思われますが、「彼らより遙かに権威のある人たち」とは一体誰を指すのでしょうか。もしそれがde:Otto Erich Deutschのことでしたら、ドイツ語版ウィキペディアの同氏の記事には
- Von Deutsch stammt das erste vollständige Verzeichnis der Werke Franz Schuberts, das Deutsch-Verzeichnis (erschienen 1951 in englischer Sprache, Neuausgabe 1978 in deutscher Sprache).
- とあり、ここでいう Neuausgabe 1978 in deutscher Spracheとは、前述のようにWalther DürrやArnold Feilらによる改訂版のことですので、この記述からは、DürrやFeilらの版がドイツ語圏でも(1967年に亡くなった)Deutschのシューベルト作品目録の正当な継承とみなされていることがうかがえます。また前述しましたとおり、Dürrらの改訂版は、ベーレンライター(de:Bärenreiter-Verlag)版のみならず、ショット(de:Schott Music)版、ペータース(de:Edition Peters)版、ブライトコプフ(de:Breitkopf & Härtel)新版、オイレンブルク(de:Ernst Eulenburg (Musikverlag)、現在はショットの子会社ですが)新版にも反映されております。
- 前述しましたとおり、Neue Schubert-Ausgabeはde:Akademie der Wissenschaften und der Literatur(ドイツ学術アカデミー連合de:Union der deutschen Akademien der Wissenschaftenを構成する8団体の一つ)、de:Österreichische Akademie der Wissenschaften、およびdie Stadt Wienの後援を受けているわけですが、これよりも遥かに権威のある人物・団体・プロジェクト等があるとおっしゃるのでしたら具体的にご提示ください。
- なお、de:Internationales Franz-Schubert-InstitutはNeue Schubert-Ausgabeとは無関係ですので(特に記事中の Hilmar ging es zunächst darum, ein Forum zu schaffen, in dem anders als in der Tübinger Neuen Schubert-Ausgabe die Lebensdokumente zu Schubert aufgearbeitet werden sollten, nachdem die diesbezüglichen Ausgaben von Otto Erich Deutsch vergriffen waren. のあたりを)よくご確認ください。--Ryota7906(会話) 2013年4月4日 (木) 21:29 (UTC)返信
どういう形であれ「未完成」「グレイト」を記事名に入れる改名にはとりあえず賛成
1) 認知度の高さ、2)見つけやすさ、3)曖昧さの無さ、4) 簡潔さ、5)首尾一貫性(Wikipedia:記事名の付け方)を重視すれば、現行の、1)認知度が低く、2)見つけにくく、3)曖昧で、4)過度に簡潔なため不親切の極みで、5)歴史的にも首尾一貫していないことが明らかな記事名(『交響曲第7番 (シューベルト)』『交響曲第8番 (シューベルト)』)は、各々「未完成」「グレイト」を記事名に入れて改名されるべきだと思われます。そういう意味で利用者:Kk8998982(会話 / 投稿記録)さんの改名動議そのものには大賛成です。
賛成 -- NeedsLove(会話) 2013年3月19日 (火) 03:32 (UTC)返信
交響曲第7番ロ短調D759「未完成」に対する改名案
交響曲第8番 ハ長調 「ザ・グレート」に対する改名案
Ryota7906さん、124.255.195.173さん、汲平 の現状維持の意見に対し、1か月以上何の反論も試みられておりません。本件については、「現状維持」で議論終結としてよろしいでしょうか。あと 1週間ほど待ちたいと思います。--汲平(会話) 2013年5月10日 (金) 16:06 (UTC)返信
- その後、何らの意見表明も為されませんでしたので、本議案については現状維持で終結といたします。--汲平(会話) 2013年5月19日 (日) 08:56 (UTC)返信
ノート:トッカータとフーガニ短調でトッカータとフーガ ニ短調 BWV565に改名する提案していますが、提案者が一向に譲歩する気配がないことからこちらに議論の場を移すと同時に、幾つかあるタイトルと作品番号の併記をどうするかについても議論を頂ければと思います。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2013年3月17日 (日) 03:45 (UTC) タイトルと作品番号が併記されているのはバッハの作品に限らないので見出しを変更。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2013年3月17日 (日) 04:04 (UTC)返信
- 作品番号は作曲者によってはかなり多くの種類がある場合があります。例えば、パッヘルベルでいえばP, T, PC, POPの4種類もの作品番号があります。とりあえず、話はバッハに限定した方がいいのではないでしょうか。--Akaniji(会話) 2013年3月17日 (日) 04:27 (UTC)返信
- ノート:トッカータとフーガニ短調での議論を思い切り圧縮すると「曲名が汎用的な形式でありその弁別性に問題があるときに、区別のため記事名に作品番号を付すかどうか」というのが論点かと考えます。弁別性の問題は複数の作曲家間でも起こりうることですので、バッハに限定する必要はないように思えます。実際問題としては、作品番号がついていない記事名のほうが圧倒的に多いので、そちらへ統一する方向にするのが得策ではないでしょうか。上の議論の中で書いたものにちょっと付け加えて一般化してみると
- 曲名が汎用的な形式であっても弁別性に問題がないか圧倒的に知名度の高い曲がある場合はそのまま記事名とする。ただし記事内で汎用的な形式についても触れるようにする(例:マタイ受難曲)
- 汎用的な形式を曲名とする曲を複数の作曲家が作曲していて知名度も拮抗している場合は、形式自身を記事名として別立てにし、曲については「汎用的な形式(作曲者名)」を記事名とする(例:レクイエムとレクイエム (フォーレ))
- ひとりの作曲家が複数作曲している場合は「第○番」で区別する(例:ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー))
- 副題や作品番号は記事名に付けない(例:交響曲第3番 (ベートーヴェン) ←『英雄』は記事名に入れない)
- ひとりの作曲家が複数作曲しているが第○番をつけるのが通例になっていない場合は作品番号で区別する(例:2つのモテット op.29(ブラームス))
- 叩き台としてこんなところではどうでしょうか。ちなみに「トッカータとフーガ」に関しては上記の1を提案しております。--Kokusui(会話) 2013年3月17日 (日) 16:48 (UTC)返信
- 私は弁別性の観点からトッカータとフーガニ短調に作品番号を付与することが必要であると考えます。また「トッカータとフーガ ニ短調」に関して汎用的な形式について触れるということは不可能です、それでは他の調性についても個別に触れることになってしまいます。また「トッカータとフーガ」とは単なる汎用的な形式の組み合わせで、その組み合わせ自体を記事とするのは不適切です「パヴァーヌとガイヤール」や「御飯と味噌汁」という記事は適切でしょうか。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月17日 (日) 22:20 (UTC)返信
賛成 片手落ちにならないようにこちらでも言っておきます。『トッカータとフーガ ニ短調 BWV565』への改名に賛成します。ただし、「トッカータとフーガ」と「ニ短調」の間も、「ニ短調」と「BWV565」の間も、異なる概念のものを3つ並べるという理由から半角スペースを当然のごとくきっちり入れるべきであると思われます。また一般論として、1)特定の作品を明確に指し示す固有名詞 がなく、2)交響曲第何番とか協奏曲第何番とかディヴェルティメント第何番とかのような番号 も打たれていない作品の記事名には、積極的に 3)作品番号 を付していくべきだと思われます。当然の話だと思われます。 -- NeedsLove(会話) 2013年3月18日 (月) 06:03 (UTC)返信
- 英語版だと後世の研究成果に基づく作品番号の前には半角スペースだけじゃなくてカンマも入れるんですね()。賢い。感心します。
- 本国ドイツ語版だと半角スペースだけ。
- ということで、ちょっと訂正します。賢くて合理的な英語版に倣って、「トッカータとフーガ」と「ニ短調」の間は半角スペース、「ニ短調」と「BWV565」の間は半角カンマと半角スペースにするのが最善だと思われます。つまり、『トッカータとフーガ ニ短調, BWV565』への改名に賛成します。(以上、補足と訂正) -- NeedsLove(会話) 2013年3月18日 (月) 06:29 (UTC)返信
- ノート:トッカータとフーガニ短調の中でも述べましたが、記事名について論じている以上、Wikipedia:記事名の付け方に則るべきでしょう。そこでは
- 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
- 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。
- 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
- 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)。
- 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
- という5つの基準(便宜上数字をつけました)が示されており、これを論拠に私は「作品番号をわざわざつけるべきでない」と考えています。
- 1の「最も著名」については、Googleの検索結果を挙げました。「トッカータとフーガ」の検索結果を上位300件ほど調べましたが、BWV565あるいはその関連曲・アレンジしか出てこないという事実を元に「『トッカータとフーガ』は一般的にBWV565を指すものと考えて差し支えない」=最も著名である、と結論づけました。同様に3についても「認知度が高い」=「他記事との弁別性において問題ない」と言えます。仮に一般名詞の組み合わせである「御飯と味噌汁」という名前の非常に著名で他との弁別性において問題がない(=固有名詞化している)作品があれば、それを記事名にすることは適切です。
- 2についてはどちらとも言えませんが、4については作品番号がないほうが簡潔であることは明白です。
- 5についても、現在のクラシック曲の記事名のほとんどに作品番号がないことを考えれば、首尾一貫させるためにほとんどの記事名に作品番号を付けるのは現実的とは言えません。レクイエム (モーツァルト)だけで何の不都合もないのですから。
- NeedsLoveさんは英語版の記事を挙げられていますが、en:St Matthew Passion、en:Christmas Oratorio、en:Mass in B minorのように汎用名であってしかも他の作曲家にも同名曲があるのにBWVが記事名についてないものもあり、結局英語版でも統一されておりません(ちなみにドイツ語のページではつけてないもののほうが多数派です)。なのでこれをもって作品番号をつける根拠たりえません。
- せっかくLouis XXさんがこちらへ議論の場を移されたのですから、できるだけ一般化された視点で「BWV565以外はどうするのか」「付して当然という理由は何か」について明白に示していただきたいと思います。-- Kokusui(会話) 2013年3月19日 (火) 12:48 (UTC)返信
- 私が「御飯と味噌汁」の例えを出したのはノート:トッカータとフーガニ短調でKokusiさんの提案する「トッカータとフーガ」という汎用的な形式を解説するページを新たに作成しに対してそれが不適切であると指摘したものです。また『トッカータとフーガ』のGoogleの検索結果を根拠とするならば、BWV565に関する記述の多くにはその作品番号の記載があったはずです。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月19日 (火) 16:46 (UTC)返信
- ですから不適切であるという根拠をお示しください。検索結果のほとんどに作品番号の記述があったことで「トッカータとフーガ」が持つ弁別性が下がるわけではありません。ましてやWikipedia内でその記述が必要かどうかは全くの別問題です。仮に「トッカータとフーガ」の検索結果に、曲としてのBWV565に関係ないページが多数ヒットするのであれば弁別性に問題ありと結論付けできますが、現実はそうでありません。--Kokusui(会話) 2013年3月20日 (水) 12:20 (UTC)返信
- 「トッカータとフーガ」という汎用的な形式を解説するページを新たに作成することが不適切であることの根拠は、汎用的な形式の組み合わせの「トッカータとフーガ」というものに汎用的な形式としての特筆性がないということです。それは御飯と味噌汁の例えによって説明しました。そして「トッカータとフーガ」の検索結果にはBWV565と関係のないページが多数ヒットすることは既にノート:トッカータとフーガニ短調において例を示しました(パッヘルベルの例は「トッカータとフーガ」の検索結果に含まれているはずです)。もし「検索結果のほとんどに作品番号の記述があった」のならば多くの人が調性も作品番号も無しの「トッカータとフーガ」では弁別性に問題があると考えていると結論づけられませんか。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月20日 (水) 13:46 (UTC)返信
- そろそろ個別の記事名について論ずるのはやめにしませんか。
- 先に述べた叩き台で不適切な点があればお示しください。
- 今回のように汎用的な形式が正式な曲名に含まれる場合「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」のような記述方法で問題ないと思うのですが、不適切であるというのであればその理由をお示しください。
- 「御飯と味噌汁」が汎用的なページとして特筆すべきでない例であるということについては、申し訳ありませんが理解できません。「御飯」という汎用的な形式と「味噌汁」という汎用的な形式はあるが、それらを組み合わせたものは汎用的な形式とは認められないということでしょうか? しかし現実に「トッカータとフーガ」という組み合わせで作られている曲は何曲もあるわけです。Kagefumimaruさんの表現を借りれば「膨大な量」あるそうですし、ひとつの汎用的な形式として認め、マタイ受難曲方式で記述してもよいのではないでしょうか。
- 「トッカータとフーガ」という記事名がWikipedia:記事名の付け方の5つの基準のうち最低でも4つを満たしていて変更の必要がないと先に述べましたが、そうでないのであれば理由をお示しください。さらに作品番号を付す方式のほうが基準に合致しているという主張をされるなら、その根拠もお示しください。
- 上記の「基準」について提示されている疑問点にのみお答えします。
- 「検索結果のほとんどに作品番号の記述があった」のは事実ですが、ほとんどがCDや楽譜の解説や楽曲解説の音楽的なページであって、それらに作品番号があるのはむしろ当然です。逆にBWV565がモチーフにされた「トッカータとフーガとロック」を説明しているページでは作品番号は見受けられません。バロック音楽・クラシック音楽に詳しくない人の間では「トッカータとフーガ」が固有名詞化していることを示しています。
- それと、パッヘッルベルの例を示されていますが「トッカータとフーガ パッヘルベル」でBWV565に関係ないページが多数ヒットするのは当たり前です。「トッカータとフーガ」で検索したときに「パッヘルベルのトッカータとフーガ」が高い順位に混ざってこないということは、無視しても差し支えないことを表しています。さらに「トッカータとフーガ パッヘルベル」の検索結果をよく見るとBWV565のページがかなり含まれています。すなわち「トッカータとフーガ」としてBWV565がよく知られているという証明になります。
- どちらも「トッカータとフーガ」の認知度・弁別性をスポイルするものではありません。--Kokusui(会話) 2013年3月23日 (土) 10:51 (UTC)返信
私は既にノート:トッカータとフーガニ短調述べたとおり個別の記事名以外について議論するつもりは全くありません。
- 先に述べた叩き台で不適切な点があればお示しください私は「トッカータとフーガ」の弁別性に問題があると考えています。
- 今回のように汎用的な形式が正式な曲名に含まれる場合「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」のような記述方法で問題ないと思うのですが、不適切であるというのであればその理由をお示しください弁別性に問題があると考えています。
- 「御飯と味噌汁」が汎用的なページとして特筆すべきでない例であるということについては、申し訳ありませんが理解できませんもう一度説明いたします。「トッカータとフーガ」は「トッカータ」と「フーガ」以上の何物でもなく、それぞれの項目で説明される以上のその組み合わせ特有の性質を持ちません。例えをもう一つ書きますと「シャツとパンツ」は服装における一般的な組み合わせですが、シャツ、パンツに加えてシャツとパンツの記事加わることがウィキペディアに何らかの益をもたらしますか。また音楽史的には「トッカータとフーガ」とはトッカータの模倣セクションを明示するようになっただけのものなので、「トッカータ」と「トッカータとフーガ」を内容的に区別する何かすらありません。
- 「トッカータとフーガ」という記事名がWikipedia:記事名の付け方の5つの基準のうち最低でも4つを満たしていて変更の必要がないと先に述べましたが、そうでないのであれば理由をお示しください。さらに作品番号を付す方式のほうが基準に合致しているという主張をされるなら、その根拠もお示しください弁別性に問題があると考えます。作品番号の記載によってその問題は解決されます。
- 「検索結果のほとんどに作品番号の記述があった」のは事実ですが、ほとんどがCDや楽譜の解説や楽曲解説の音楽的なページであって、それらに作品番号があるのはむしろ当然ですそれは何故でしょうか、理由をお示しください。
- 逆にBWV565がモチーフにされた「トッカータとフーガとロック」を説明しているページでは作品番号は見受けられません。バロック音楽・クラシック音楽に詳しくない人の間では「トッカータとフーガ」が固有名詞化していることを示していますそれは固有名詞化しているという例証になりません。それを主張するには「信頼できる情報源」において一般的に使用されていることを示す必要があります。その『「トッカータとフーガとロック」を説明しているページ』はそれに該当しうるものですか。
- 「すなわち「トッカータとフーガ」としてBWV565がよく知られているという証明になります最も知名度が高いことと弁別性に問題がないことは別問題であることは既にノート:トッカータとフーガニ短調で述べました。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月23日 (土) 12:26 (UTC)返信
追記します。Kokusuiさんは「一般人の認識」を常に問題にしていますが、その認識は専門的な記述を多く記載する百科事典における弁別性に支障をきたさないものでしょうか。「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」という記事名は一般人にとって記事内容との結びつきを見出し難いものでしょうか。Wikipedia:記事名の付け方の「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とは利用者の便宜を図るための心得です。専門的に過ぎて一般人の認識から大幅に外れているために不適切な記事名は、例えば最古の資料に見られるToccata con Fuga pedaliter ex dのようなものと考えます、弁別性に問題はありませんが利用者にとって記事名と内容を結びつけることが困難であると想像されます。対して「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」に改名することによって利用者がどのような不利益を被るとKokusuiさんはお考えですか。「信頼できる情報源」例えば音楽事典が要求する程度の弁別性はウィキペディアにも当然要求されるものだと私は考えます。音楽事典は明らかに非専門家にとって利用しづらいものであってはならないものだからです。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月23日 (土) 13:29 (UTC)返信
さらに追記です。したがって私はWikipedia:記事名の付け方の基準のパラメーター配分(全てを最高度に満たす事はけして出来ません、それらは競合します)の倣うべき「信頼できる情報源における慣例」のソースとして総合的な音楽事典を採用することを提案します。音楽に関わるウィキペディアの記事の諸要素に期待される基準は音楽事典のそれと異なることはないはずだからです。即ち最も一般的であると考えられるニューグローヴ音楽事典 John Caldwell, “Toccata,” in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2nd ed., ed. by Stanley Sadie (London: Macmillan, 2001) の記述 "Toccata, often called Toccata and Fugue in D minor BWV 565" に倣って「トッカータとフーガ ニ短調 BWV565」を適切な記事名と考えます。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月23日 (土) 17:19 (UTC)返信
- 相変わらず全く理解されていないようですのでもう一度書きますが、Wikipediaで要求される弁別性とはWikipedia:曖昧さ回避にある通り「内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすること」です。Wikipedia内に異なるトピックが存在しない限り、これ以上判別しやすくする必要もありません。
- なお「個別の記事名以外について議論するつもりは全くありません」という議論拒否の意思表示をされたようですので私ももうコメントはいたしません。議論ができない以上トッカータとフーガニ短調の改名に賛成することもありません。--Kokusui(会話) 2013年3月30日 (土) 15:35 (UTC)返信
- 私は議論を拒否していません、私はKokusuiさんが議論に参加する以前からノート:トッカータとフーガニ短調において対象をトッカータとフーガニ短調に限定することを明言しています。またウィキペディアにおける弁別性はWikipedia:曖昧さ回避で扱われることだけではありません、むしろそれは特殊な例です。例えばWikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という記述の「曖昧でなく」とはウィキペディア内での重複のみに限ったことではないはずです。--Kagefumimaru(会話) 2013年3月31日 (日) 02:00 (UTC)返信
- 利用者:Kokusuiさんが上で挙げておられる5つの基準を、その数字のまま優先順位にしておけばいいと思います、もし一般論を議論したいのなら、ですけれど。誰がどう考えてもその並び順は結構妥当だし、上から順に優先ということに暫定的にでもしておけばいいと思います。しかし、そういう前提でも、この順番は優先順位ではないと言い張る人が1人でもいるなら、みんな説得材料や決め手がなくなってしまうわけだから、一目で不適切過ぎる記事名と分かる記事名以外は、議論しても全く不当にしんどいだけ、だと思われます。。一目で不適切過ぎる記事名と分かる記事名の場合でさえ、周囲にそれを理解できない人がいると、議論してコンセンサス、と分かっていても、全く不当にしんどいだけ、です。別に絶対に議論しませんというわけじゃありませんが、パワハラ荒らしさんが1人でもおられれば、もはや議論する意義は全くありませんし、時間が余りにももったいないということです。
- で、特定の一記事の最善の記事名についてなら、なんとか議論はやり易くはなるとは思います。何故かといえば、その記事名特有の事情について具体的論理的に考えればいいだけだからです。
- そこで、本題の『トッカータとフーガニ短調』云々についてですが、カタカナの「ガ」と「ニ」がくっつているのは、さすがに記事名としては違和感があります。『交響曲ニ短調』は大しておかしく見えないのに、残念なことです。そもそも『トッカータとフーガ』なる曲は、バッハのものしか思い浮かばないのに、一体なぜ、他にもありそうな気がするのでしょうか。それはパイプオルガンという特殊な楽器を生かすためには『トッカータとフーガ』みたいな曲作りが最適だろうし、(バッハみたいに)書ける人ならいくらでも書けそうな気がするからではないでしょうか。そこで、「ニ短調」を付けておこう、いや、それだけじゃ足りないような気がする、「BWV565」も記事名に付けておこう、そのほうが曖昧さ(実は心許なさ)を確実に除去できる、となるのではないでしょうか。英語版やドイツ語版の記事名の背後にも、そういう思考や感情があったのではないかと感じます。
- 他のバッハの曲の記事名には、そんなに「BWV」が付いていない? そりゃそうです。バッハのものが一番先に想定され、それで他に大して問題を感じないような場合は、バッハの場合は「曖昧さ回避ページ」よりも先に出るようにすればいいだけだからです。
- それにしてもUser:Kagefumimaruさんの言葉の概念の組み合わせに関する御指摘はお見事でした。全く同意いたします。 -- NeedsLove(会話) 2013年4月4日 (木) 11:26 (UTC)返信
賛成 この問題に関しては、Kagefumimaruさんの主張をほぼ全面的に支持します。また、蛇足ですがノート:トッカータとフーガニ短調においてKagefumimaruさんが「私には統一的な方針を打ち立てる意思は全くありません。ただ現在の記事名がわかりにくいと感じたため改善を提案したのみです。」と仰っているにもかかわらず、Louis XXさんが議論をこの場に移して論点をWikipediaの記事名の付け方全般の問題に変えてしまったのは少々不適切であると感じます。ちなみに、トッカータとフーガ「ドリア調」に関していえば、日本語版と同じような記事名にしているのはit:Toccata e fuga "Dorica"のみで、それ以外の諸外国語の版はde:Toccata und Fuge d-Moll BWV 538やen:Toccata and Fugue in D minor, BWV 538、fr:Toccata et fugue en ré mineur BWV 538、ru:Токката и фуга ре минор (BWV 538)のような記事名ですから、いずれは日本語版も国際的標準に従うべきかと思います。今すぐに改名提案をする気はございませんが…--Gruppetto(会話) 2013年4月5日 (金) 17:40 (UTC)返信
モーツァルトの楽曲記事での番号について
モーツァルトの楽曲記事で、記事名をユニークにするためにはケッヘル番号が使われています。現時点では初版の番号が使われていますが、英語版では番号なし交響曲の記事名に第6版の番号が使われています。今後記事を作成するときに、初版番号と第6版番号をどう使うかをルール化しておきたく、以下のように提案します。
モーツァルトの楽曲の記事名に作品番号を含める場合、原則として初版の番号を使用する。ただし、初版でK.Anh.221のような追加番号が当てられていた場合は第6版の番号を使用する。例 満足 K.349、交響曲K.45a
--アルビレオ(会話) 2013年10月20日 (日) 06:17 (UTC)返信
賛成 提案内容に賛同致します。--Louis XX(会話 / 投稿記録) 2013年10月21日 (火) 15:54 (UTC)返信
- 特に反対が無かったので、本文に反映しました。--アルビレオ(会話) 2013年11月19日 (火) 22:33 (UTC)返信
日本時間の9月12日にモイセイ・ヴァインベルクからミエチスワフ・ヴァインベルクまたはミェチスワフ・ヴァインベルクへの改名を提案致しました。議論はノート:モイセイ・ヴァインベルクで行っております。現在、改名提案から三週間ほど経ち(提案者である私を含め)賛成2、反対1という状況で議論が停滞しております。宜しければノート:モイセイ・ヴァインベルクへ皆様のご意見をお寄せ下さい。--Gruppetto(会話) 2013年10月3日 (木) 15:38 (UTC)返信
- 反対意見が取り消され、賛成多数となったため、ミエチスワフ・ヴァインベルクへ改名致しました。ありがとうございました。--Gruppetto(会話) 2013年10月8日 (火) 14:08 (UTC)返信
クルト・エクウィルツからクルト・エクヴィルツへの改名をノート:クルト・エクウィルツで議論中です。ご意見のある方はよろしければノート:クルト・エクウィルツへご意見をお寄せ下さい。--Gruppetto(会話) 2016年8月20日 (土) 05:21 (UTC)返信