ヘートヴィヒ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ
ヘートヴィヒ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Hedwig Erzherzogin von Österreich-Toskana, 1896年9月25日 - 1970年11月1日)は、オーストリア帝室の分家ハプスブルク=トスカーナ家出身の大公女(Erzherzogin)。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の外孫。 生涯![]() フランツ・ザルヴァトール大公と、その妻で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の末娘マリー・ヴァレリー大公女の間の第4子、次女として生まれた。洗礼式は祖父皇帝の別荘カイザーヴィラの大広間で行われた。姉のエラと一緒に、教育学者・発達心理学者エルザ・ケーラーを養育係として育った。1918年4月24日にヴァルゼー城において、ベルンハルト・ツー・シュトルベルク=シュトルベルク伯爵(1881年 - 1952年)[注釈 1]と結婚した。伯爵夫妻は間に5男4女、計9人の子女をもうけた。 ヘートヴィヒは母から結婚の贈り物として、チロル地方シュトゥーバイ・アルプス山中のキュータイ狩猟用城館の所有権を譲渡された。これは祖父皇帝が1893年に購入し、1916年に母が相続していた城館だった[1]。 1949年、ヘートヴィヒは結婚してから住み続けていたキュータイの屋敷の傍にスキーリフトを設置するため、欧州復興計画借款からの融資を求めた。当時のオーストリア通商・経済復興担当相エルンスト・コルブは、利益の採算性が見込めないとして彼女の申請を却下した[2]。1952年、未亡人となったヘートヴィヒは城を改装し、スキー客向けのホテルとして開業した[注釈 2]。 1970年に死去し、遺骸はハル市営墓地にある伯爵一家の納骨堂に埋葬された。 子女ベルンハルト・ツー・シュトルベルク=シュトルベルク伯爵との間に5男4女をもうけた。
脚注注釈
出典
参考文献
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