ベアトリス・デ・ポルトゥガル (1380-1439)
![]() ベアトリス・デ・ポルトゥガル(Beatriz de Portugal, 1380年頃[1] - 1439年11月[2])は、ポルトガル・アヴィシュ朝の開祖ジョアン1世王の非嫡出の娘。 生涯ジョアンが1385年王位に就き、イングランドから王妃フィリッパ・オブ・ランカスターを迎える前に、妾のイネシュ・ピレシュとの間にもうけた女子である[3]。母の出自はユダヤ人靴直しとも、古いポルトガル貴族とも言われている。ベアトリスの生年は1380年頃と推定され[1]、おそらくポルトガル南部アレンテージョ地方ヴェイロシュ(Veiros)で生まれた。同母兄アフォンソとともに、王妃フィリッパの手許で教育を受けた[3]。 1405年4月にイングランド貴族の第12代アランデル伯爵トマス・フィッツアランとの結婚が決まり、リスボンで代理結婚式を行う。同年中に同母兄アフォンソに伴われてイギリスにわたり、フィリッパ王妃の弟のイングランド王ヘンリー4世臨席のもと、1405年11月26日に大勢の宮廷人が参集した盛大な婚礼をロンドンで挙げた[3]。アランデル伯はヘンリー王の死別した最初の妻メアリー・ド・ブーンの従弟であった。 アランデル伯と1415年に死別すると、長く未亡人として暮らした。1432年、継母フィリッパ王妃の甥にあたる第2代ハンティンドン伯爵ジョン・ホランドと再婚する。いずれの夫との間にも子はいなかった。ハンティンドンがイギリス王領アキテーヌ総督として赴任していたボルドーで死去した。生前、ガーター勲章を拝受している[4]。 時として、第5代タルボット男爵ギルバート・タルボットと結婚し、サー・トマス・フェッティプレイスと再婚したポルトガル人女性ベアトリス・ピント(Beatrice Pinto、1447年没)と混同されることがある[5]。 引用・脚注
参考文献
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