ベニスに死す (映画)
![]() 『ベニスに死す』(英語: Death in Venice (オリジナル)、イタリア語: Morte a Venezia (吹替え版)、フランス語: Mort à Venise (吹替え版) )は、1971年に公開されたアメリカ資本のイタリア・フランス合作映画。監督はルキノ・ヴィスコンティ。カラー、スコープサイズ(パナビジョン・2.39:1)、131分。テーマ曲にグスタフ・マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」を使用し、マーラー人気復興の契機となったことでも名高い。 トーマス・マン作の同名小説の映画化。『地獄に堕ちた勇者ども』『ルートヴィヒ』と並ぶ「ドイツ三部作」の第2作であるが、主人公がドイツ人(厳密にはモデルとなったマーラーはユダヤ系オーストリア人として当時オーストリア支配下にあったチェコに生まれているが、その幼時までオーストリアはドイツ連邦議長国であり、他に原作者トーマス・マンも投影されている)であるのみで、他の2作のようにドイツを主舞台にはしていない。 ストーリー静養のためベニスを訪れた老作曲家は、ふと出会ったポーランド貴族の美少年タッジオに理想の美を見い出す。以来、彼は浜に続く回廊をタッジオを求めて彷徨うようになる。 ある日、ベニスの街中で消毒が始まる。誰も真実を語らない中、疫病が流行していることをようやく聞きつける。それでも彼はベニスを去らない。 白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、死臭漂うベニスを彼はタッジオの姿を追い求め歩き続ける。ついに彼は倒れ込み、ひとり力なく笑い声を上げる。翌日、疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタッジオの姿を見つめながら彼は死んでゆく。 キャスト
受賞歴
音楽マーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」は、もともとは作曲者が当時恋愛関係にあり、のちに妻としたアルマにあてた、音楽によるラブレターである。この映画の感情的表現において、ほぼ主役ともいえる役割を果たした。演奏は、フランコ・マンニーノ (Franco Mannino) 指揮・ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団。 この映画を鑑賞したあるハリウッド・メジャーの社長は、「今度の新作映画では、マーラーにテーマ音楽を作らせよう」と語ったという(マーラーが既に没した大作曲家であることをその社長は知らなかった)。 ホテルのレストランで流れ出すのは、フランツ・レハール作曲のオペレッタ『メリー・ウィドウ』の「唇は語らずとも」。アッシェンバッハがタジオを見つめて頬を赤らめるシーンで、歌詞のない演奏版だが、ここでの歌詞を判っていると意外に直接的な内容である。 タッジオはホテルにあるピアノで『エリーゼのために』を弾く。それを聴いたアッシェンバッハは若き日に訪れた売春宿を思い出す(買った相手の名は映画冒頭の蒸気船と同じエスメラルダ)。 マーラーで使用されたのは交響曲第5番だけではない。交響曲第3番の第4楽章、アルト独唱の入る部分が、観光客で賑わう浜辺のシーンに重なる。独唱はルクレツィア・ウェスト(Lucretia West)。 アッシェンバッハとアルフリートが芸術を論じた後、アルフリートがピアノで弾く曲は、交響曲第4番の第4楽章冒頭の旋律。 アッシェンバッハの死を予告する海辺のシーンでは、ソプラノ歌手マーシャ・プレディト(英語版)によりモデスト・ムソルグスキー作曲『子守歌(Lullaby)』が歌われる。 原作からの翻案原作者トーマス・マンは主人公グスタフ・フォン・アッシェンバッハを作家としていたが、モデルとしてはマン自身以外に、友人でもあった作曲家のグスタフ・マーラーも入っている。ゆえに監督のルキノ・ヴィスコンティがマーラーの音楽を使い、主人公をマーラーをモデルとした作曲家に変更したのは、恣意的な変更とは言えない。 また、同時代の作曲家でありマーラーと親交のあったアルノルト・シェーンベルクをもアルフリートという名で登場させている。2人の「美」についての論争は、この映画全体に満ち溢れる「対比」の主体軸である。 ドキュメンタリー
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