ボロディミル・シェイコ
ボロディミル・シェイコ(ラテン転写:Volodymyr Oleksandrovych Sheiko、ウクライナ語: Володимир Олександрович Шейко、1962年1月11日 - )は、ウクライナの指揮者、ウクライナ名誉芸術家、ウクライナ人民芸術家、シェフチェンコ・ウクライナ国家賞受賞者、ウクライナ芸術院通信会員、ウクライナ・ラジオ交響楽団の芸術監督兼首席指揮者である[1][2]。また、音楽団体「ムジカ」の理事を務める。 経歴出生と教育1962年、ソビエト連邦(現ウクライナ)のハルキウに生まれる。ミコラ・リセンコ記念ポルタヴァ音楽学校でピアノ、合唱指揮、音楽理論を学び、1981年に卒業[3]。その後、キエフ音楽院に進学し、ステファン・トゥルチャクに師事してオペラ・交響曲指揮を、レフ・ベネディクトフに師事して合唱指揮を学び、1988年に卒業。1989年から1991年まで、モスクワのボリショイ劇場でフアト・マンスロフのもとで研修を行った。 音楽活動1988年よりキエフ国立アカデミック・オペレッタ劇場の指揮者を務め、1995年から2005年まで首席指揮者兼音楽監督として15の公演を指揮。主な作品に、ジョージ・ガーシュウィンの『ポーギーとベス』、ヨハン・シュトラウス2世の『ジプシー男爵』『ヴェネツィアの一夜』、イムレ・カールマンの『マリツァ』、フランツ・レハールの『ルクセンブルク伯爵』などがある[4]。 1990年10月、ウクライナ初の民間交響楽団「ウクライナ」を設立。1991年から2002年まで、ウクライナ、ロシア、イタリア、フランス、ポルトガル、ポーランド、クロアチア、スイスで演奏ツアーを行い、ウクライナ・ラジオやテレビでの録音、CD制作(ロシア、イタリア、英国、スイス)を実施。国際音楽フェスティバル「イースターの出会い」(キエフ、2000-2002年)や「テノラトーリオ」(スイス・ゾロトゥルン、1999-2001年)、ヴェルディ生誕200周年記念「VERDIANO-2001」(イタリア・ブッセート、2001年)の企画・演出も手掛けた。 1996年より、キエフ音楽院のオペラ・音楽監督科およびオペラ交響曲科で教鞭を執る。2005年8月からウクライナ・ラジオ交響楽団の芸術監督兼首席指揮者に就任。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ダビデの悔い改め』、ジュゼッペ・ヴェルディの『レクイエム』、ジョアキーノ・ロッシーニの『スターバト・マーテル』、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』(独自の舞台版)、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの『ステパン・ラージンの処刑』などを指揮。また、独自のテレビ・ラジオプロジェクト「芸術の物語」「私はヴィルトゥオーゾ!」「Symphonic Mainstream」「RadioSymphony_UA」「観客なきコンサート」「傑作」「ベネフィス」「ウクライナからのメッセージ」を制作。 同オーケストラを率いて、ウクライナ国立ラジオ録音スタジオで400以上の世界・ウクライナ音楽の録音を制作。これらは欧州放送連合(EBU)の56カ国で放送されている。2018年以降、中国、韓国、イラン、アルジェリア、チュニジア、アラブ首長国連邦、スペイン、イタリア、フランス、ポルトガル、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、ベラルーシの17カ国でツアーを行い、ウィーン・コンツェルトハウス、アムステルダム・コンセルトヘボウ、マドリード・アウディトリオ・ナシオナル、バルセロナ・リセウ大劇場、ポルト・カサ・ダ・ムジカなど世界的な会場で公演[5]。 毎年、キエフで開催される国際音楽フェスティバル「キエフ・ムジク・フェスト」「シーズンの音楽プレミア」に参加。2021年、ウクライナ芸術院の通信会員に選出された[6]。 受賞・栄典
ノミネーション
参考文献
関連項目外部リンク
脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia