ポール・ワーウィック
ポール・ジェイソン・ワーウィック(英語: Paul Jason Warwick, 1969年1月29日 - 1991年7月21日)は、イギリスのレーシングドライバーである。兄は、元F1ドライバーのデレック・ワーウィック。 経歴アルレスフォード出身で、1984年に15歳でイギリスのストックカーレースでデビューした。1986年にはフォーミュラ・フォードの1600ccクラスに、兄デレックの作ったチームから参戦。8勝を挙げ、シリーズチャンピオンを獲得した[1]。 1987年はミドルブリッジ・レーシングからイギリスFF2000に参戦し、J.J.レートに次ぐシリーズ2位となる[2]。その後3年間は母国イギリスやヨーロッパのフォーミュラ3で活躍。1988年と1989年には、F3モナコグランプリに出場。 1990年にレイトンハウスから国際F3000選手権にスポット参戦した。 1991年、イギリスF3000選手権に参戦し、開幕から4連勝を記録した。しかし、第5戦オウルトン・パークでトップを走行中にコースアウトし、ガードレールに衝突した。 衝突時におよそ240㎞出ていたとされ、ポールはマシンから投げ出され、死亡した。22歳だった[3]。事故の原因は、ウィッシュボーンの故障とされている。ポールの死後、このレースでの優勝が決定。5勝を記録し、2位のフレドリック・エグブロムを抑えて、ポールのシリーズチャンピオンが決定した。 ポールが死去した年末、イギリス国内のレースで優秀な若手レーサーを表彰する「ポール・ワーウィック記念杯」が設立され、同年イギリスF3で活躍したデビッド・クルサードが初代受賞者となった。2001年には佐藤琢磨が受賞している。 兄のデレックとは15歳離れた兄弟であり、ポールは兄のことを尊敬し、同じ柄のヘルメットを着用していた。兄デレックも「ポールは俺より速いんだよ、自慢のタネさ」と取材でコメント[4]するなど仲の良い兄弟だった。 レース戦績略歴
イギリス・フォーミュラ3
国際フォーミュラ3000
イギリス・フォーミュラ3000
脚注
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