マイク・ブロードウェイ
マイク・ブロードウェイ(英語: Mike Broadway, 本名:マイケル・アレン・ブロードウェイ(Michael Allen Broadway, 1987年3月30日 - )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州マクラッケン郡パデューカ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 愛称は大柄な身体と90mph後半の速球を投げることからボーン・クラッシャー(Bone Crusher)」[1]。 経歴プロ入りとマイナー時代2005年のMLBドラフト4巡目(全体137位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。ブレーブス、サンディエゴ・パドレス、ワシントン・ナショナルズ傘下のマイナーチームでプレー。アレックス・ラミレスの現役選手時代には、ベネズエラのウィンターリーグで同じチームに所属していた[2]。 ジャイアンツ時代2014年のシーズン前にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。 2015年6月12日にメジャーリーグへ初昇格。アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で公式戦デビューを果たすと、1イニングを無失点に抑えた。7月3日にジャイアンツ傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツへ降格。メジャーリーグ公式戦では、通算21試合の登板で、0勝2敗・防御率5.19という成績にとどまった。 2016年には、ジョージ・コントスの故障に伴って、4月19日にメジャーリーグへ再昇格。公式戦4試合に登板したが、通算5回3分の1イニングで防御率11.81を記録するなど振るわず、AAA級サクラメントへ再び降格した。7月4日付で自由契約。 DeNA時代2016年7月14日に、ラミレスが一軍監督を務めるNPBの横浜DeNAベイスターズと契約したことが、球団から発表された[3]。中継ぎ投手としての起用を念頭に置いた契約[4]で、背番号は97[5]。 ![]() (2016年8月12日) 契約後の8月17日には、対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)の7回裏から、救援投手として一軍デビュー。最初に対戦したウラディミール・バレンティンへの初球でソロ本塁打を浴びると、その後も自身の失策などもあり、1イニングを自責点1ながら5失点を喫した。セントラル・リーグの公式戦に初めて登板した投手が、最初に対戦した打者への初球で本塁打を浴びた事例は、このシーズン序盤の3月31日にカイル・デイビーズ(ヤクルト)が記録したことに次いで史上3例目[6]。一軍公式戦には、通算5試合の登板で防御率4.50を記録した。チームは史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたが、自身は8月31日に出場選手登録を抹消されると、一軍へ復帰できないままポストシーズンを前にアメリカへ帰国[7]。同シリーズ終了後の10月17日には、選手契約を更新しないことが球団から発表された[8]。 DeNA退団後2016年12月13日にナショナルズとマイナー契約を結び、翌年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[9][10]。 2017年は開幕から傘下のAAA級シラキュース・チーフスでプレーしていたが、5月31日に自由契約となった[11]。6月22日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び、傘下のAA級モンゴメリー・ビスケッツへ配属された[12]。オフの11月6日にFAとなった[13]。12月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[14]。 2018年6月12日に解雇となり、6月30日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。 2019年は独立リーグ・アトランティックリーグのサマセット・ペイトリオッツと契約。7月19日に現役引退を表明した。 2021年5月28日にアトランティックリーグのウェストバージニア・パワーと契約を結び、現役復帰を果たす[15]。パワーでは10登板で、6月22日に放出されるまで防御率1.42と安定していた[15]。25日にメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約を結んだ[16]。 投球スタイル身長196cmの長身から投じる最速158km/hの速球[2]に、スライダーを織り交ぜる力投型の大型右腕[17]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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