マイク・マクレディ
マイケル・"マイク"・デヴィッド・マクレディ(Michael David McCready、1966年4月5日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ソングライター。ロックバンド、パール・ジャムのリードギタリストとして最もよく知られる。他にもテンプル・オブ・ザ・ドッグやマッドシーズンなどで活動。 来歴生い立ちフロリダ州のペンサコーラに生まれるが、出生後まもなくシアトルに引っ越す[1]。11歳で初めてギターを手にし、ギターのレッスンに通い始める。中学時代にWarriorsというバンドを組み(まもなくShadowに改名)、当初はカバー曲を演奏していたが後にオリジナルの楽曲も作り始め、デモテープの制作も開始する[2]。高校卒業後もShadowは活動を続けていたが1988年に解散[2]。その後は音楽やギター演奏から遠ざかり、髪を切ってコミュニティ・カレッジに入学し、夜はレンタルビデオ店で働き始めるが[3]、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのライヴを目の当たりにした後に再び音楽への意欲を取り戻す。マクレディはLove Chileというバンドに加入し[3]、徐々に音楽活動を活発化させていく。その後マクレディは後にパール・ジャムのメンバーとなるストーン・ゴッサードとジェフ・アメンと共にテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成した。 テンプル・オブ・ザ・ドッグテンプル・オブ・ザ・ドッグにはサウンドガーデンのクリス・コーネルがヴォーカリストを務め、ドラマーは後にパール・ジャムに加入するマット・キャメロンが担当した。後にオーディションでパール・ジャムのヴォーカリストとなるエディ・ヴェダーも加入し、コーラスやコーネルとのデュエットを行った。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をリリースし、バンドは同年に解散した。 パール・ジャムパール・ジャムはテンプル・オブ・ザ・ドッグ解散前の1990年に結成され、翌年8月にアルバム『ten』でデビューした。1990年代前半に吹き荒れたグランジ・ムーブメントの第一人者としてバンドは急速に人気を獲得し、現在も活動中である。 脚注
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia