マット・ル・ティシエ
マシュー・ポール・ル・ティシエ(Matthew Paul "Matt" Le Tissier, 1968年10月14日 - )は、イングランドの元サッカー選手。選手時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダー、フォワード。 選手生活の大半をサウサンプトンFCで過ごし、幾多ものゴールを挙げた。両足を自在に操る技術、中長距離から放つシュートは、1990年代成績が振るわなかったクラブにあって輝きを放った。引退してなお、セインツ(The Saints, サウサンプトンFCの愛称)の英雄としてサウサンプトンの人々に愛される存在である。愛称は "Saint Matt" (聖マット)。 経歴イギリスの王室属領であるガーンジー島に生まれる。少年時代は地元のサッカークラブに所属。当時から得点能力に非凡な才能を持っており、コーナーキックから直接ゴールを決めることもまれではなかったという。 1985年にオックスフォード・ユナイテッドFCのトライアルを受験するが、体重が重すぎるとの理由で不合格となる。その後門を叩いたのがサウサンプトンFCだった。 1986年9月2日のプロデビュー以降の16シーズン、サウサンプトンで出場した公式戦は合計で540試合に上り、その中で209のゴールを挙げた。ペナルティーキックを蹴る機会が49回あったが、外したのはたった1回のみである。1993-94シーズンは低迷するチームにあって、計30得点を挙げ孤軍奮闘した。また翌1994-95シーズン、対ブラックバーン戦(1994年12月10日)で見せた40ヤード弾は、イギリスBBC『Match of the Day』が選ぶ年間最優秀ゴール賞 (Goal of the Season) に選ばれた。 またル・ティシエは、100年以上の歴史を持つサウサンプトンの旧ホームスタジアム、ザ・デル (The Dell) での最期の試合となった2001年5月19日の対アーセナルFC戦において、ザ・デル最期のゴールを挙げている。このシーズンのル・ティシエは故障のためほとんど戦列を離れていたものの、この試合は控えメンバーとして登録されていた。試合終盤、万雷の歓声に迎えられると、ペナルティエリア内で振り向きざまのボレーシュートを左足で叩き込み、結果3-2の逆転劇でスタジアムの有終の美を飾った。 サウサンプトン退団後は元チームメイトのデビッドヒューズと共にノンリーグのイーストリーFCで2シーズンプレー。 2002年に現役を引退。セインツでの功績を称えられ、ル・ティシエはサウサンプトン市の名誉市民となった。現在はサッカー解説者として活動し、Sky Sportsチャンネルの番組『Soccer Saturday』などに出演している。 引退して10年後の2013年4月7日に地元のガーンジーFCで現役復帰し1試合のみ出場。2014年8月までクラブの会長も務めた。 代表歴イングランドU-21代表として21試合出場3得点の経歴がある。しかしイングランドA代表としての初キャップは1994年3月9日と遅く、最終的に8試合0得点と凡庸な記録に終わっている。毎シーズンのようにリーグ得点ランキングの上位に名を連ねるなど、国内での実績は充分であるにも関わらずル・ティシエが代表に選出されないことに対し、当時代表監督を務めていたテリー・ヴェナブルズやグレン・ホドルらには批判の声が上がった。 1998年ワールドカップフランス大会直前、ロシアとの練習試合(「B代表」扱い)でル・ティシエはハットトリックを達成した(加えてクロスバーに当てたシュートが2つあった)が、ホドル監督はこの試合を観ておらず、ル・ティシエを本大会メンバーの予備登録30名の中にさえ加えなかった。 備考
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