マティアス・ポグバ
マティアス・ファスー・ポグバ(Mathias Fassou Pogba 、1990年8月19日 - )は、ギニアの首都コナクリ出身の元プロサッカー選手。元ギニア代表。ポジションは、フォワード。同国サッカー代表のフロランタン・ポグバは双子の兄弟。フランス代表のポール・ポグバは実の弟。 クラブ経歴初期ギニアの首都コナクリで生まれ、フランスの首都パリで育った。双子の兄弟フロランタンとともに、スペインのセルタ・デ・ビーゴのカンテラでプレーを始めた[1]。2009年、二人は言葉や住環境の問題を理由にクラブを退団した[2]。フランス帰国後、フランスアマチュア選手権(4部)のカンペールFCに入団。カンペール在籍中、アルジェリア代表のリヤド・マフレズと共同生活をしていた[3]。 レクサム2010年8月、カンファレンス・ナショナル(5部)のレクサムAFCのトライアルに参加し、翌月契約を勝ち取った[4][5]。 加入から1週間後のフリートウッド・タウンFC戦で初出場[6]。2011年1月のバース・シティFC戦で初ゴールを挙げた[7]。 2011–12シーズン終了後に契約満了を迎え、クラブ側から新たに2年契約を提示された[8]が、ポグバ側がより高いレベルでのプレーを望んだため交渉は難航した。レクサムの会長はポグバがプレシーズンの始まる48時間前までに退団を表明しなかったことについて批判した[9]。 クルー・アレクサンドラ2012年7月、レクサムを退団しフットボールリーグ1のクルー・アレクサンドラFCと2年契約を結んだ[10]。 8月のフットボールリーグカップ・ハートリプール・ユナイテッドFC戦で加入後初出場を果たすと、いきなり2ゴールを挙げた[11]。しかし、翌9月は膝の負傷のため大半を欠場した[12]。怪我から復帰すると再びゴールを積み重ねたが、2013年4月に太腿の手術を受け一足先にシーズンを終了した[13][14]。 2013–14シーズンはプレシーズンマッチからチームに帯同したが[15]、マンチェスター・ユナイテッドFC戦で右内側側副靱帯を損傷する大怪我を負ってしまい[16]、3ヶ月間の離脱を余儀なくされた[17]。2014年1月のロザラム・ユナイテッドFC戦で復帰[18]。 2014–15シーズン前、クラブ側が慰留したものの退団を表明[19]。ガーディアンの取材ではステップアップを望んでいると語った[2]。 ペスカーラ2014年7月、セリエBのデルフィーノ・ペスカーラ1936に移籍[20]。9月のカルチョ・カターニア戦で移籍後初出場[21]。しかしマルコ・バローニ監督とそりが合わず[22]、半年で契約を解除した。出場4試合で無得点だった[23]。 クローリー・タウン2015年2月、フットボールリーグ1のクローリー・タウンFCに加入[24]。加入から3日後のヨーヴィル・タウンFC戦で初出場[25]。4月のピーターバラ・ユナイテッドFC戦で初ゴール[26]。 パーティック・シッスル2015年8月、スコティッシュ・プレミアシップのパーティック・シッスルFCと延長オプション付きの単年契約を結んだ[27]。セルティックFC戦で加入後初出場[28]。10月のハミルトン・アカデミカルFC戦で初ゴール[29]。 2016年8月、双方合意の上で契約を解除した[30]。 スパルタ・ロッテルダムパーティック・シッスル退団後、エールディヴィジのスパルタ・ロッテルダムに加入[31]。ローダJC戦で加入後初出場&初ゴール[32]。 代表歴2013年2月のセネガル戦でギニア代表デビュー[33][34]。 私生活サッカーギニア代表のフロランタン・ポグバは双子の兄弟で、サッカーフランス代表のポール・ポグバは弟[35]。レクサム在籍時にはポールと共同生活をした[22]。 2022年7月16日、弟ポール・ポグバが1300万ユーロの恐喝計画の標的になったとしてトリノ検察当局に告訴し、フランス当局が9月初めに司法捜査を開始。9月14日にマティアス・ポグバを含む容疑者5人がフランス当局によって拘束された[36][37]。2024年12月19日、パリ刑事裁判所はマティアス・ポグバに対し禁錮3年(うち2年は執行猶予)および罰金2万ユーロの有罪判決を言い渡した。猶予されない1年の刑期については電子監視装置を装着して自宅謹慎となる[38][39]。 脚注
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