マリブムーン
マリブムーン (Malibu Moon) [1]はアメリカの競走馬、種牡馬。勝ち鞍は未勝利戦のみと競走馬としては結果を残せなかったが、種牡馬として活躍馬を複数送り出した。 経歴
1999年4月30日、ハリウッドパーク競馬場の4.5ハロンのメイドン競走でデビューし2着。2戦目として5月31日、ハリウッドパークの5ハロンのメイドン競走を勝ったが、その後膝の骨折が判明して引退を余儀なくされた[4]。 競走成績以下の内容は、EQIBASE[2]の情報および記載法に基づく。
引退後引退後、馬主であり生産者でもあったブラッドリー・ウェイン・ヒューズは種牡馬として第二のキャリアを送らせようと奔走し、メリーランド州のカントリーライフファームの場主ジョン・ポンズが権利の半分を取得してカントリーライフファームで種牡馬生活を開始することになった[4][5]。初年度となる2000年の種付け料は3000ドルに設定されたが、これは種牡馬としていいスタートを切れるように考えられた設定であった[5]。また、ヘイルトゥリーズンやレイズアネイティヴといった先達種牡馬を引き合いに出してのキャンペーンも怠らなかった[4]。初年度は101頭に種付けをし、その初年度産駒がデビューした2003年に早くも重賞勝ち馬を送り出して、2歳サイアーランキングで6位に入る成績を残した[5]。 産駒の活躍を受け、翌2004年シーズンからはケンタッキー州レキシントン近郊のキャッスルトンリオンズに移動[6]。種付料も、2004年度は1万ドルに上昇する[5]。同じ2004年にヒューズがスペンドスリフトファームを購入し、カントリーライフファーム、キャッスルトリオンズとスペンドスリフトファームの3者共有の形態をとって2008年からはスペンドスリフトファームで供用[5]。2009年ごろには、同じくエーピーインディを父に持つプルピットやその仔らとともに、将来にわたってシアトルスルー系を支える主要種牡馬と見なされるようになった[7]。2013年には産駒のオーブがケンタッキーダービーを制したことによってダービー馬の父となり、2014年の種付け料は初年度の30倍以上となる95000ドルに設定され[5]、名実ともに人気種牡馬の地位に上り詰めた。 その後の2021年5月18日にマリブムーンは心臓発作が原因で死亡、24歳であった[3]。 おもな産駒※G1競走勝ち馬のみ記載
日本競馬でのおもな産駒ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒
血統表
脚注
外部リンク
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