マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ

マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ
Maria Elisabetta di Savoia-Carignano

出生 (1800-04-13) 1800年4月13日
フランス共和国パリ
死去 (1856-12-25) 1856年12月25日(56歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ボルツァーノ
埋葬 オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ボルツァーノ大聖堂
配偶者 オーストリア大公ライナー・ヨーゼフ
子女 一覧参照
家名 サヴォイア=カリニャーノ家
父親 カリニャーノ公カルロ・エマヌエーレ
母親 マリア・クリスティーナ・フォン・ザクセン
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マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Maria Francesca Elisabetta Carlotta Giuseppina di Savoia-Carignano, 1800年4月13日 - 1856年12月25日)は、サルデーニャ王カルロ・アルベルトの妹にあたる人物である。オーストリア大公ライナー・ヨーゼフの妃として、ロンバルド=ヴェネト王国副王妃の地位にあった。

生涯

マリーア・エリザベッタは、1800年4月13日にフランス共和国のパリで生まれた。父はカリニャーノ公カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(1770年 - 1800年)であり、母はクールラント公カール・フォン・ザクセン(ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト3世の五男)の娘であるマリア・クリスティーナ・アルベルティーナ・カロリーナ・フォン・ザクセン(1770年 - 1851年)である。彼女は父の死の数ヶ月前に誕生した。

1820年5月28日、プラハにおいてオーストリア大公ライナー・ヨーゼフ(ラニエーリ・ダズブルゴ、1783年 - 1853年)と結婚した。ライナー・ヨーゼフは、後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世の十男であり、1818年から1848年までロンバルド=ヴェネト王国の初代副王を務めた。マリーア・エリザベッタは夫と共にミラノのオーストリア宮廷の長として活動した。

彼女は1856年12月25日にオーストリア帝国のボルツァーノで56歳で死去した。

子女

ライナー・ヨーゼフとの間に、以下の8人の子女をもうけた。

  • マリーア・カロリーナ(1821年 - 1844年)
  • アデライデ(1822年 - 1855年) - のちにマリーア・アデライデと改名。サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の妃となる。
  • レオポルド(1823年 - 1898年)
  • エルネスト(1824年 - 1899年)
  • シギズモンド(1826年 - 1891年)
  • ラニエーリ(1827年 - 1913年)
  • エンリコ(1828年 - 1891年)
  • マッシミリアーノ(1830年 - 1839年)

参考文献

  • マリーア・エリザベッタ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ (Maria Elisabetta di Savoia-Carignano) - Weblio辞書
  • カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ (Carlo Emanuele di Savoia-Carignano) - Weblio辞書
  • マリア・クリスティーナ・フォン・ザクセン (1770-1851) (Maria Christina von Sachsen) - Weblio辞書
  • ラニエーリ・ダズブルゴ (Raineri d'Asburgo) - Weblio辞書
Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

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