マーク・ティーエン
マーク・トーマス・ティーエン(Mark Thomas Teahen, 1981年9月6日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 経歴2002年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから1巡目(全体39位)で指名を受け、入団。『マネー・ボール』でも期待の若手として取り上げられるほどの選手だったが、2004年3月中には正三塁手のエリック・チャベスの長期契約延長が成立したため[2]メジャー昇格後のポジションが埋まってしまい、同年6月24日にカンザスシティ・ロイヤルズとヒューストン・アストロズが絡む三角トレードで、マイク・ウッドと共にロイヤルズへ移籍[3]。ロイヤルズ移籍後は、AAA級のオマハでプレイ。 前年までの正三塁手であったジョー・ランダがシンシナティ・レッズに移籍した2005年、開幕戦の4月4日のタイガース戦でメジャーデビュー。開幕戦のメジャーデビューは球団史上、ジョー・ゼブ(1977年)、マイケル・タッカー(1995年)に次いで3人目[4]。4月13日から故障者リスト入りとなったが[5]、故障から復帰した5月以降は正三塁手として出場。最終的には打率.246・7本塁打・55打点という成績を残した。 2006年は、5月4日時点で打率.195の成績でAAA級のオマハへ降格。オマハでは24試合の出場で打率.380を記録し、6月3日にメジャーに復帰[6]。復帰以降の打率は.313だったが、右肩を手術するため、9月6日の出場を最後に残りの22試合を欠場[7]。 アレックス・ゴードンが2007年から三塁手として出場するため、ティーエンは右翼へコンバートされた[8]。同年、自己最高の144試合に出場し、自身初の規定打席に到達。得点、安打、三塁打、盗塁は自己最高となった。 2008年は、2年ぶりに15本以上の本塁打を放ったが、打率は2005年以来自己最低の数字となった。また、三振131も自己ワーストの数字である。 2009年は、3年連続で規定打席に到達。2年連続での2ケタ本塁打を放った。また、守備面では三塁手としての試合出場が最も多く、これは2006年以来の結果である。更に、初めて二塁守備にも就いた。シーズン終了後の11月6日にクリス・ゲッツとジョシュ・フィールズとのトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍し[9]、12月8日に3年総額1,400万ドルで契約延長した[10]。 2010年は開幕から三塁手として起用されたが、5月30日のタンパベイ・レイズ戦で打球処理の際に右手中指を骨折。8月13日のデトロイト・タイガース戦で復帰後は主に外野手として出場したが、後半戦は32試合の出場で打率.260、1本塁打、OPS.683に終わった。 2011年7月27日にホワイトソックス、セントルイス・カージナルス、トロント・ブルージェイズ間での三角トレードでブルージェイズへ移籍。 2012年1月17日に1年550万ドルの契約を残したまま解雇された。2月6日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだが、メジャーには昇格できなかった。11月27日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[11]。 2013年5月20日にダイヤモンドバックスを退団。5月23日、テキサス・レンジャースとマイナー契約を結んだ。しかし6月3日に放出された。その後6月17日に、アトランティックリーグのヨーク・レボリューションと契約を結んだ[12]。 2014年は2月15日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだが[13]、3月19日に放出された。同年12月15日、引退したことが報じられた[14]。 2017年1月24日にイタリアンベースボールリーグのパドヴァ・ベースボールクラブと契約し現役復帰。 年度別打撃成績
脚注
外部リンク |
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