ミゲル・ゴンザレス (1983年生の投手)
ミゲル・アルフレド・ゴンザレス・プエブラ (Miguel Alfredo González Puebla, 1983年9月23日 - 2017年11月23日[1])は、キューバ共和国ハバナ州グアナハイ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴キューバ時代2004-2005シーズンから2011-2012シーズンまでキューバ国内リーグ "セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル" に所属していた。常時93マイルの速球が武器で変化球は主にスライダーやフォーク。 2004年夏に台湾で開かれたAAA世界野球選手権大会のメンバー。このときの投手には ヤディエル・ペドロソ、エリエル・サンチェスという右左の両輪に隠れて目立たなかったがチームは優勝。国内リーグデビュー後も着実に成績を伸ばし、2008-2009シーズンに大きく飛躍した。過去の実績が乏しく第2回WBC代表には入らなかったが、大会後に再開された後半のシーズンでは調子を上げ、その後のプレーオフには最高の調子で優勝決定試合でも完封勝利し、プレーオフMVPに輝く。2009年にオランダで開催されたワールドポート・トーナメントではキューバ代表の一員として活躍した。 2010年の世界大学野球選手権ではエース級投手として対アメリカ戦の決勝で9回まで投げて優勝に貢献した。 2012年1月に亡命未遂を起こし、国内リーグから永久追放された。 フィリーズ時代2013年2月にコスタリカに亡命する。8月30日にフィラデルフィア・フィリーズが2017年のオプションが付いた3年1200万ドルのメジャー契約を結んだことを発表した[2][3]。 2014年3月27日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、29日に60日間の故障者リストへ異動した[4]。9月3日のアトランタ・ブレーブス戦でメジャーデビュー。5月から傘下のマイナーで実戦復帰し、9月3日のアトランタ・ブレーブス戦の5回にメジャー初登板を果たした。 2015年、スプリングトレーニングで5試合の登板で14回1/3を投げ12失点を喫し、4月1日に40人枠を外れた。 2017年11月23日にキューバ国内で自動車事故により死亡した[5]。34歳没。生前ゴンザレスが所属していたフィリーズは突然の死去に対し球団公式Twitterを通じて哀悼の意を表した[1]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
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