ミャンマーの国家顧問
ミャンマーの国家顧問(ミャンマーのこっかこもん、ビルマ語: နိုင်ငံတော်၏ အတိုင်ပင်ခံပုဂ္ဂိုလ်、英語: State Counsellor of Myanmar)は、かつてミャンマー政府に存在した役職の一つ。2011年に廃止された首相職と類似した役割を担うポストとされており[1]、日本政府の外務省は「国家最高顧問」と訳している[2]。 2021年の軍事クーデター以降は空席となっており、クーデター勢力は同年2月19日に本ポストを事実上消滅させる一方、反クーデター勢力は本ポストを名目上存続させている(後述)。 歴史創設の経緯アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)は、2015年11月に行われた総選挙で地滑り的な勝利を収めたが、彼女の亡き夫マイケル・アリスと二人の息子が外国籍(イギリス国籍)を持っているため、2008年憲法の規定で大統領に就任することができなかった[3][4][5]。当初、アウンサンスーチーは新政権において役職に就かないという報道もなされたが[6]、結局は政権におけるさらなる権限を与えるため「国家顧問」という役職を新たに設置し、アウンサンスーチーが就任することとなった。 国家顧問の役職を創設するための法案は2016年4月1日に民族代表院(上院)、4月5日に人民代表院(下院)で可決され、4月6日にティンチョー大統領が署名し成立した[1][5][7]。審議の過程では議会の4分の1を占める軍人議員を中心に憲法違反との批判もあったが、与党NLDの賛成多数で可決された[1]。 2021年のクーデター以降2021年2月1日にクーデター(2021年ミャンマークーデター)が起きると、ミャンマー軍がアウンサンスーチーを軟禁状態に置いたため、国家顧問職は事実上空席となった。その後、軍が主導する統治機構・国家行政評議会(国家統治評議会)は2月19日付で国家顧問府の廃止を決定し、これに伴い国家顧問職も事実上廃止となった[8]。 だが一方で、国民民主連盟が主導する連邦議会代表委員会(CRPH)[9]は国家顧問職の存続を主張し、2月9日には国家顧問法施行によってアウンサンスーチーの任期を延長した他[10]、3月9日には臨時内閣の副大統領代行に選出された民族代表院(上院)前議長のマン・ウィン・カイン・タンが国家顧問職を代行すると宣言した[11][12]。その後、4月16日に発足した国民統一政府(NUG)は「連邦民主憲章(英語: Federal Democracy Charter、ビルマ語: ဖက်ဒရယ်ဒီမိုကရေစီ ပဋိညာဉ်)」の規定[13]に基づいて首相職と国家顧問職を併設し、アウンサンスーチーを国家顧問とする人事を発表した。だが、アウンサンスーチーの身柄が依然としてミャンマー軍に拘束されているため、NUGの国家顧問は名目のみの役職となっている。 役割と責任国家顧問は、予算や必要に応じた会議を招集することができ、議会運営に関して助言する責務を負う[14]。 行政のあらゆる分野を仕事の範疇とすることができ、また大統領と議会の調整役として機能するため、その役割は首相に似ている[14][15]。ミャンマーでは連邦議会の議員が閣僚に就任した場合、憲法の規定で閣僚と連邦議会議員との兼職が禁じられているため、連邦議会の議員職を自動的に失職することになるが、国家顧問になることにより引き続き立法への参加が可能となる[14]。 任期は大統領と同じ5年間[14]。現職の大統領と等しい期間、その職務にあたる[16]。 歴代の国家顧問2021年ミャンマークーデター以降の状況については、国家行政評議会、連邦議会代表委員会(CRPH)及び国民統一政府(NUG)の状況をそれぞれ併記する。
出典
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