ムアンプレー郡座標: 北緯18度8分44秒 東経100度8分29秒 / 北緯18.14556度 東経100.14139度
ムアンプレー郡(ムアンプレーぐん)はタイ北部・プレー県にある郡(アムプー)である。プレー県の県庁所在地(ムアン)でもある。 名前ポンナラット (พลรัฐ) 、ポンナコーン (พลนคร) と『年代記』には登場しており、その名前の「ポン」 (พล) の部分が徐々に変化し、たとえばラームカムヘーン大王碑文などではプレー (phlae, แพล) などと見えており、このようにして現在のプレーの表記に落ち着いたと見られている。なお「ポン」とは力という意味である。また、伝説上の君主クンルワン・ポンのことであると推定できる。 歴史プレーはいつ建設されたか分からず、誰が作ったかも判明しない。828年、クンルワン・ポンという人物がチエンセーンから住民を引き連れ定住してきたという伝説もあるが、あくまで伝説である。ただ、スコータイ王朝やラーンナー王朝などと時を同じくして独立した都市国家、プレー王国が誕生していたということは分かっている。 アユタヤ王朝時代には1460年のトライローカナート王の攻撃を筆頭にアユタヤとラーンナー間の高僧の際には何度か攻撃の憂き目に遭っている。その後ラーンナーはビルマの支配下に入るが、プレーも同じくビルマの支配下に入った。 1767年にトンブリー王タークシンがビルマに反旗を翻した際、プレーの国主、パヤー・マンチャイもビルマに反旗を翻した。プレーの国主が『ナーン年代記』にはチャーバーンやカーウィラらとチエンセーンを攻撃した旨が書かれている[1]。その後、プレーは北部の主要都市として機能し、1891年プレーは市となった。 地理プレーはヨム川の形成した台地にある。東は山岳地帯で、森林が豊富であり、ペムアンピー森林公園が設置されている。 交通は国道101号線が南北に通っており、この国道は南はウッタラディットやピッサヌロークなどに通じる国道11号線と接しており、北はナーンに通じパヤオに通じる103号線と接している。 経済市内の主要な産業は農業で、主に稲作が主流である。 行政区分郡内には20のタムボンがあり、その下位に157の村(ムーバーン)が存在する。プレーには自治体(テーサバーン)があるが以下の通りである。
また郡内には15のタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)が設置されている。
脚注出典
参考文献
外部リンク |
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