ムアンロッブリー郡座標: 北緯14度47分53秒 東経100度39分13秒 / 北緯14.79806度 東経100.65361度
ムアンロッブリー郡(ムアンロッブリーぐん、タイ語: อำเภอเมืองลพบุรี)は、タイの中部にある郡(アンプー)。ロッブリー県の県庁所在地(ムアン)でもある。 名称ロッブリーとはラワ族の町という意味である。 歴史![]() →詳細は「ロッブリーの歴史」を参照
もともとドヴァーラヴァティー王国時代にモン族と思われる民族によってロッブリーは繁栄していた。7世紀に真臘の影響を受け、ラヴォー王国がドヴァーラヴァティー王国から独立。9世紀頃、アンコール朝が侵攻して来るに至って町は破壊された。そのため、ロッブリーで見られる古代建築の多くはクメール様式である。 時は下って、タイ族のアユタヤ時代初期にはラーメースワン王が派遣され、国の政治を行った。また、ナーラーイはフランスの侵攻の危機を感じ、フランスとの戦争に備えロッブリーを副都とした。この時にロッブリーは黄金時代を迎え、副首都になり、ナーラーイも年の半分以上をロッブリーで過ごした。その後、ラーマ4世(モンクット)はこのナーラーイの宮殿を修復した。 その後、ピブーンソンクラーム(第3・11代首相)は軍事都市としてロッブリーを再設計し、新市街地を旧市街地の4キロメートル東に建設した。 現在ではサルの町として知られ、毎年11月には猿祭りが開かれる。 地理ロッブリーはロッブリー川の形成した平地にある。ロッブリー北東部には山がある。 交通は、タイ国鉄北本線が南北に走っており、北はナコーンサワン方面、南はアユタヤ方面と通じる。国道1号線(パホンヨーティン通り)は北から南東に通っており、北にコークサムローン、南東にサラブリー方面と通じている。国道311号線は西に向かって伸びて、シンブリー方面に通じている。 経済農業が郡内の主な産業である。米が生産されているほか、飼料用のトウモロコシなどが生産されている。 行政区分郡内は24のタムボンに分かれ、さらにその下位に223の村(ムーバーン)がある。市内には自治体(テーサバーン)が設置されており以下のようになっている。
また郡内には、17のタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。
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