ムアンローイエット郡座標: 北緯16度3分12秒 東経103度39分12秒 / 北緯16.05333度 東経103.65333度
ムアンローイエット郡(ムアンローイエットぐん)はタイ東北部・ローイエット県の郡(アムプー)。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。 名称ローイエットはかつて11の衛星都市(ムアン)とそれに続く11の門があった。このため、101(10と1という意味、じゅういち)の街と書かれた、これが元になってローイエット(101、ひゃくいち)の街と呼ばれるようになった。 歴史ローイエットは古くサケートナコーン王国が存在し、11の衛星都市を持った都市として機能した。しかし、その後衰退し、ローイエットは廃墟となった。 1713年、チャムパーサックの王、ソイシースントーンプッターンクーンは、チャオ・ケーオモンコンに移住者を引き連れさせバーントゥン(現在のスワンナプーム郡)に移住させた。その後、チャオ・ケーオモンコンは3人の子供を残すが、この息子、チャオ・ムートがバーントゥンの国主に、またその後、弟のチャオ・トンが国主になり、バーントゥンはアユタヤ王朝の属国となった。1772年トンブリー王朝王タークシンの命でバーントゥンからムアン・シープーム(スワンナプーム郡)に街が移動、その後、1775年、タークシン王はチャオ・トンをプラヤー・カッティヤウォンサーの官位に昇格させローイエットの国主とし、その弟、ターオ・オをプラヤー・ラッタナウォンサーの官位につけた。 1908年、ローイエットは郡となった。1913年、それまで公的にはパチムローイエット郡と呼ばれていたが、ムアンローイエット郡と改称された[1]。 地理チー川の支流の形成した平地にあり、郡内の主な水源も、同河川の水系の河川である。 国道23号線が東西に通っており、東にヤソートーン方面、西にマハーサーラカーム方面とつながっている。国道が北に向かって延びておりカーラシン方面とつながっている。国道2044号線が東北に延びておりポーントーン方面と、国道2043号線が東南に延びておりパノムプライ方面と、国道215号線が南南東に延びておりスワンナプーム方面と、国道214号線が南南西に延びておりカセートウィサイ方面と、国道2045号線が南西に延びておりパユッカプームピサイ方面に延びている。 経済郡の主な産業は農業で、コメ、タバコ、魚などが生産されている。 行政区分郡は15のタムボンに分かれ、さらにその下位に195の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)があり以下のようになっている。
また郡内には14のタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。以下のリストで欠番のタムボンは市から分離してチャンハーン郡、シーソムデット郡となった郡である。
脚注
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