メドジディア
メドジディア (ルーマニア語: Medgidia, ルーマニア語発音: [med͡ʒiˈdi.a] または [med.d͡ʒiˈdi.a]) は、ルーマニア南東部のドブロジャ地方、コンスタンツァ県にある都市である。かつて、トルコ語では「カラス (Karasu, Carasu)」または「Mecidiye (Megidie)」といった。 歴史
考古学調査により、ドブロジャには、新石器時代には人が居住していたことがわかっている。紀元前46年、この地域は、ローマ帝国の支配下に入った。カラス峡谷にはカストラがあり、これが現在の町の起源となった。 1417年、トルコ人はドブロジャに入植し、15世紀以降、一帯はイスラム教徒が住むようになった。集落は「カラス」(トルコ語で「黒い水」の意味)と名付けられ、1497年にはIehuda ben Zaraの地図にも登場している。また、パオロ・ジョルジョ(1590年)やエヴリヤ・チェレビ(1653年)の著書でも言及がみられる[3]。 近代のメドジディアの町は、オスマン帝国によって、もともとカラスの町があった場所に、1856年に建設された。クリミア戦争の難民を収容するための計画都市であり、ドブロジャ中部の経済的な中心地としての役割も果たした。町の名前は、当時のオスマン帝国のスルタンであったアブデュルメジト1世に因んで名付けられた[4]。 露土戦争後、北ドブロジャはルーマニアの領土となった。メドジディアはコンスタンツァ県に吸収される以前、シリストラ・ノワ県(1878年〜1879年)の県都であった。 地理メドジディアは、ドナウ川と黒海の間に位置し、コンスタンツァからは39km離れている。 土地の多くは、石灰岩の平原が厚い黄土の堆積層によって覆われたものとなっている。天然資源として、石灰岩やカオリナイトが採れる。また、この石灰岩は、地下水を浄化する効果がある。 気候気候は温暖な大陸性気候で、冬は寒冷だが短く、夏は非常に暑い。 施設メドジディアは、1994年にムニチピウとなった。 町のインフラは継続的に開発されており、4つの高校、8つの小学校、12の幼稚園、文化活動のできるホールを備えた4つの文化センター、2つの劇場・映画館、3つのクラブ、5つの図書館、3万人収容のスタジアム、体育館、プールが存在する。また、500床の病院もある。 また、自治体の領内には以下の2つの村がある。
経済町にある1,200の登録企業のうち、30は国営、15は合弁事業である。農業(乳製品製造、製粉、ワイン製造)のほかに、セメントや建築材料、農業機械、鋳造機械、木材加工、家具製造が主要産業となっている。 メドジディアは、肥沃な土壌と灌漑設備が整った数千万ヘクタールの農業地帯の中央に位置する。この地域は、昔から肥沃な土地で、熟練の専門家がいるほか、商品輸送の道路交通網が発達しており、港にも近いため、他のルーマニア国内の地方、ヨーロッパ諸国への輸送においては優位である。さらに、ルーマニアの他地方と比べて、冬が短く温暖であるという利点もある。 メドジディアクリンカー貯蔵施設は、2009年に完成し、世界最大のドーム型クリンカー貯蔵施設となっている。 交通町は道路と鉄道の結節点にあり、ドナウ・黒海運河の河川港も備わっている。ドナウ・黒海運河は、町のなかを6kmにわたって通っている。運河は、年間1120万トンを輸送することができ、載貨重量は最大5,000トンの船まで航行できる。道路や鉄道に接続する港には、貯蔵施設や16トンまで持ち上げられるクレーンが設置されている。ルーマニア鉄道の操車場横の運河に面した地域は、自由貿易区域が設定される。 ブカレストからコンスタンツァに至る高速道路が、EUの財政支援のもと計画されており、町のバイパス道路となるほか、ホテル、ガソリンスタンド、トラック用の駐車場といった関連サービス施設の開発が期待される。 また、メドジディア駅からは、ルーマニア国内のコンスタンツァ(35km)、トゥルチャ(144km)、ブカレスト北駅(199km)などへの列車が発着している。 観光・イベントルチアン・グリゴレスコ美術館
アブデュルメジト・モスク
聖ペテロ・パウロ正教会
セルビアの英雄の記念碑
メドジディア・フェスティバル
メディア
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