メーヌ=エ=ロワール県
メーヌ=エ=ロワール県(メーヌ=エ=ロワールけん、Maine-et-Loire)は、フランスのペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の県である。県下を流れる支流メーヌ川(Maine)と大河ロワール川(Loire)にちなんだ県名である。両方の川は県内で合流する。 県は農村が主体で農業が優勢である。県はロワール流域に含まれ、世界遺産のシャトーが軒を連ねるロワール渓谷地方にある。 由来フランス革命中の1790年3月4日に新設された。県はかつてのアンジュー州の大部分に該当する。新設当初の県名はマイエンヌ=エ=ロワール(Mayenne-et-Loire)であったが、1792年12月12日にメーヌ=エ=ロワールとなった。川としてのロワール川とメーヌ川は女性名詞であるが、メーヌ=エ=ロワール県を定冠詞をつけて表す場合はLe Maine-et-Loireとなり、男性名詞となる[1]。男性名詞を用いるのは、おそらく近接する(男性たる)メーヌ伯(comté du Maine)領の由来である[注釈 1]。 地理フランス、グラン・ウエストと呼ばれる地域に含まれる。マイエンヌ県、ロワール=アトランティック県、サルト県、ヴァンデ県、アンドル=エ=ロワール県、ドゥー=セーヴル県、ヴィエンヌ県、イル=エ=ヴィレーヌ県、合計8つの県と接する(国内で2番目に接する県が多い)。1968年にセーヌ=エ=マルヌ県(現在10県と境を接している)が新設されるまでは、国内で最も接する県が多い県であった。 Atlas des paysages de Maine-et-Loireによれば、メール=エ=ロワールは13の景観ユニットで分類され、さらに小さな30の小地域で分けることができる[2]。 歴史1793年3月11日、反革命のヴァンデの反乱がショレで勃発した。 1815年6月、ワーテルローの戦いで第七次対仏大同盟が勝利すると、1818年11月までプロイセン軍が県を占領していた。 経済メーヌ=エ=ロワールは地域圏第2の工業県で、61500人が雇用されている。食品加工業に15000人、建設業に16000人が雇用されている[3]。 2008年当時、22596ある会社施設を分類すると、40%が工業、27%がサービス業、22%が商業、11%が建設業であった[3]。アンジェ、ショレ、ソミュールの3大都市圏を含むアンジュー経済は全般的に農村部である。県内には30箇所の農村経済区があるが、ほぼ1/4は多様な経済の方向を向いている[4]。 農業は県面積の64%で行われている[5]。約800ヘクタールが人工土壌のため毎年消費される[Note 1][6]。 メーヌ=エ=ロワールは農業生産の価値が高い国内第5位の県である。県は国内初の園芸生産県であり、国内で初めてシャンピニョン・ド・パリ(マッシュルームの一種)の生産を始めた。他にリンゴ、クロスグリ、カモミールを生産する。また、面積の点ではフランス第3のブドウ畑を持つ。野菜生産は4200社あり2万人が雇用される。 年間約230万人の観光客が訪れ、直接的・間接的に1.5億ユーロの売上高をもたらすため、観光は県経済の重要な部分を占める[7]。 人口統計
参照元:SPLAF[8] et Insee[9][10][11][12][13][14] 主なコミューン最も人口の多いコミューンは、県庁所在地のアンジェである。2019年現在、人口2万人を超えるコミューンは6つある。
ギャラリー
脚注注釈
出典
参照
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