モービル郡 (アラバマ州)
モービル郡(英: Mobile County)は、アメリカ合衆国アラバマ州の南西隅に位置する郡である。人口は41万4809人(2020年)[2]。郡庁所在地はモービルであり、同郡で人口最大の都市である。郡名はモービラ族インディアンから採られた。モービル郡はその全体でモービル都市圏を構成している。 歴史モービル郡となった地域は数千年の間、様々な文化の先住民が住んでいた。フランス人の交易業者や開拓者が入ってきたときの先住民族はチョクトー族インディアンだった。フランス人は18世紀初期にモービルの町を設立した。フレンチ・インディアン戦争に勝利したイギリスは、1763年にこの地域をフランスから奪った。アメリカ独立戦争のときは、スペイン領フロリダとしてスペインの支配下に入っていた。米英戦争の後、アメリカ合衆国の領土となった。 この地域にいたインディアンの大半は1830年代にアンドリュー・ジャクソンの政策により、ミシシッピ川の西にあるインディアン準州へ強制移住させられた。1979年、チョクトー族インディアンMOWAバンドをアラバマ州が認知した。この人々はモービル郡とワシントン郡の郡境地域に集中している。 モービル郡は1812年12月18日のミシシッピ準州知事ホームズの宣言により、ヨーロッパ系アメリカ人によって設立された[1]。この地域はミシシッピが州になった1817年8月15日にアラバマ準州の領域となり、2年後の1819年12月14日、アラバマが州になったときにアラバマ州の郡となった[3][4]。 モービル市はラ・ルイジアンの一部としてフランス人開拓者が設立しており、常に郡庁所在地に指定されてきた[1]。モービル郡もモービル市も1702年に現在のアクシス近くに設立されたフランスの砦、「モービルのルイ砦」からその名を得ている。「モービル」という言葉はチョクトー族インディアンの言葉で、「カヌーを漕ぐ人」を意味すると考えられている[1]。この地域は1702年から1763年までフランス、1763年から1780年はイギリス、1780年から1813年はスペインが支配していた。郡庁舎は1823年、1840年、1872年の3度火事にあった[1]。 政府郡政府モービル郡は3人の委員による郡政委員会が統治している。各委員は郡内3つの選挙区を代表しており、任期は4年間である。委員会での投票権は平等である。委員の1人が議長に選ばれている。 州政府アラバマ州議会に対しては、モービル郡から3人の上院議員と9人の下院議員を送り出している。2013年2月時点で上院議員は共和党員1人、民主党員1人、空席1人になっている[5]。同じく下院議員は共和党員5人、民主党員3人、空席1人になっている[6]。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は1,644.02平方マイル (4,258.0 km2)であり、このうち陸地1,233.09平方マイル (3,193.7 km2)、水域は410.93平方マイル (1,064.3 km2)で水域率は25.00%である[7]。郡内にはドーフィン島、ゲイラード島、モンルイ島など幾つかの島がある。 ![]() 主要高規格道路
隣接する郡
国立保護地域
人口動態
以下は2000年国勢調査による人口統計データである。
政治2004年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党現職のジョージ・W・ブッシュが郡総投票数の59%、92,014票を獲得し、対する民主党候補のジョン・ケリーは40%、63,732票だった[8]。 2008年でも共和党候補を過半数が支持した。ジョン・マケインは54%、98,049票を獲得し、対する民主党候補のバラク・オバマは45%、82,181票だった[8]。 2008年のアメリカ合衆国上院議員選挙では、共和党のジェフ・セッションズが57%、102,043票を獲得し、マケインを上回った。民主党候補のビビアン・D・フィギュアーズは43%、77,292票だった[8]。 都市と町![]() 都市町
国勢調査指定地域
未編入の町
教育モービル郡の大半の地域における公共教育はモービル郡公共教育学区が運営している。チカソー、サラランド、サツマ各市は独自の教育学区を持っている。それぞれチカソー市教育学区、サラランド教育委員会、サツマ市教育学区と呼ばれている。 脚注
- The name "Mobile" is pronounced "mo-beel" with even emphasis on both syllables. 関連項目
外部リンク
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