ヤムスクロ
ヤムスクロ自治区(ヤムスクロじちく、仏: District Autonome du Yamoussoukro)、通称ヤムスクロ(Yamoussoukro)は、コートジボワール共和国中部にある、同国の憲制上の首都。 1983年にアビジャンから遷都され首都となったが、経済的には特にめぼしい産業がなく、行政都市としての機能も持っていないため、旧首都であるアビジャンが依然として政治・経済の中心地[1]である。ヤムスクロ大統領官邸[注 1]や上院議会[3]が所在するが、各国大使館や各省庁、国民議会(下院)[4]及び最高裁判所[5]はアビジャンに残ったままであり、実質的首都機能は現在もアビジャンが担っている。ヤムスクロが首都に選ばれた理由は、コートジボワール独立の指導者であったフェリックス・ウフェ=ボワニ初代大統領の生まれ故郷であるからとの説が有力である。 面積は2,070km2であり、アティエグアクロ県とヤムスクロ県から成る。人口は約35.6万人(2014年)と他の州と比べてもあまり多くない。[6] 名称かつてこの場所にあったンゴクロ村が、フランスによる植民地化の後にヤムスクロと改称された[1]。「-kro」は村を意味するバウレ語の接尾辞[1][7]であり、「Yamoussoukro」は「ヤムスの村」[7]という意味。これが何を指しているかについては以下のような説がある。 歴史1887年から1899年にフランスの将校たちによって探検が行われるまで、深い熱帯雨林に覆われたコートジボワール内陸部はヨーロッパ人未踏の地であった[8]。1901年に、先住民バウレ族の村ンゴクロがフランスによって植民地化され、後にヤムスクロと改称される。植民地時代には、この地はフランス軍の駐屯地となった[10]。1960年にコートジボワールがフランスから独立するとヤムスクロは郡役所所在地となり、その後は県庁所在地や州都として発展した[10]。1983年、アビジャンからの遷都が正式に決定し、都市計画に基づいて一部の行政機関が移転[9]。 1990年9月に、世界最大級のカトリック聖堂「平和の聖母聖堂」が大統領の私費によって完成し、話題となった[9]。 2002年のコートジボワール内戦の際、ヤムスクロと100km北のブアケの間に境界線が引かれ、南の勢力であるコートジボワール政府勢力の前線となった。とはいえ、ヤムスクロは戦火に巻き込まれたことはなく、市内の施設も攻撃を受けていない。 地理同国最大の都市であるアビジャンから、北西へ250km、車で約2時間半。北はベーリン州のティエビス県、南はゴー州のウメ県、東はンジ州のディンボクロ県、西はマラウェ州のシンフラ県とブアフレ県に囲まれている。 経済平和の聖母聖堂を始めとする観光業が盛んだが、一方でヤムスクロ内の失業に苦しんでおり、国内に目ぼしい産業がほとんどない。 農業少数ながらカカオ豆やコーヒーが栽培される。他、ヤムイモ、キャッサバ、マンゴー、トウモロコシが生産されている。 観光建造物
近辺の国立公園
気候
脚注注釈出典
外部リンク
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