ユセフ・モハマド
ユーセフ・ワーセフ・モハマド(Youssef Wasef Mohamad、1980年7月1日 - )は、レバノンの首都・ベイルート出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(センターバック)。 経歴
サファSCの下部組織からトップチームに昇格し、2002年にオリンピック・ベイルートに移籍した。2000年に設立された新興クラブであるオリンピック・ベイルートでは移籍2年目に国内リーグと国内カップの2冠を達成した。
2004年、代表のチームメイトで前年からSCフライブルクに所属していたロダー・アンタルの推薦により、ドイツ・ブンデスリーガ(1部)のSCフライブルクに移籍した。2004-05シーズン終了後にツヴァイテリーガ(2部)降格となったが、モハマドはチームに残留し、2005-06シーズンと2006-07シーズンもSCフライブルクでプレーした。2006年9月22日のSpVggグロイター・フュルト戦でブンデスリーガ初得点を含む2得点を挙げた[1]。 2007年7月17日、ツヴァイテリーガの1.FCケルンと契約し、2007-08シーズンの1.FCケルンはツヴァイテリーガで3位となり、ブンデスリーガ昇格を決めた。2007年12月にはキッカー紙によってツヴァイテリーガの最優秀ディフェンダー部門の2位に選ばれている。2010年1月17日のボルシア・ドルトムント戦では、チームメイトのDFケヴィン・マッケンナの同点ゴールの後にブンデスリーガ初得点となる逆転ゴールを決めた[2]。そのすぐ後にズボニミール・ソルド監督によってクラブのキャプテンに指名され、ブンデスリーガのクラブのキャプテンになった初のアジア人選手・中東出身選手となった。2010-11シーズン開幕戦のカイザースラウテルン戦ではレッドカードを受けて一発退場となり、3試合の出場停止処分を受けた。 2011年8月20日、アル・アハリ・ドバイへ移籍[3]。 代表2000年、20歳のモハマドは初めてレバノン代表に招集され、AFCアジアカップ2000に出場した。10月12日に行われたグループリーグ初戦のイラン戦に先発出場し、フル出場したが0-4で敗れた。10月15日のイラク戦はAbbas Chahrourとの交代で89分から途中出場し、2-2で引き分けた。10月18日のタイ戦には起用されず、1-1で引き分けたためグループリーグ敗退に終わった[4]。2004年11月から2005年8月までは代表キャプテンを務めたが、その後、レバノンサッカー協会とレバノン代表監督に強く批判され、批判的な態度を改めるまで出場停止処分を受けた。 個人成績
タイトル
脚注
外部リンク
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