ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座
ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(ユナイテッド・ナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、全日本プロレスが管理、PWFが認定している王座。UNヘビー級王座(ユー・エヌ・ヘビーきゅうおうざ)の略称で表記、呼称されている。NWAの認可だったこともあり、日本国外ではNWAユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(NWA United National Heavyweight Title)とも呼称されている[1]。現在は三冠ヘビー級王座を構成しているチャンピオンベルトの1つである。 歴史日本プロレスがNETでのテレビ中継を開始するに伴い、それまで単独で放送していた日本テレビに配慮し、フラッグシップタイトルであるインターナショナル・ヘビー級王座のタイトルマッチは日本テレビのみでの放送となったため、NETでの看板となる王座を作るため、NWAハリウッド・レスリングのプロモーターであるマイク・ラベールに働きかけ、アメリカ、カナダ、メキシコの3国で通用するNWAの国際タイトルとして、1970年10月に新設された。初代王者のデール・ルイスからアントニオ猪木に奪取されたジョン・トロスまでの変遷については、プロレス雑誌でも諸説がある。 1971年3月26日、ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムにおいて、猪木がトロスを破って王座を獲得後、日本に定着する。猪木はUN王座を獲得したことで、インターナショナル・ヘビー級王者であったジャイアント馬場に対抗するはずであったが[2]、猪木が日本プロレスを除名されるとともにベルトはNWA本部へ返還されたがその後復活、坂口征二が王者となり延べ1年にわたり保持し、その坂口が日本プロレスを離脱後に高千穂明久が王者となった[3]が、間もなく日本プロレスが崩壊し、王座は休眠状態になった。 1976年に全日本プロレスの要請で王座が復活し[4][5]、以降は同団体に定着する。ジャンボ鶴田が王者になったが、タイトルの格はPWFヘビー級王座より下とされていた。その鶴田も5度目の王獲得後、インター王座の獲得に専念するために王座を返上してしまい、全日本におけるタイトルの格は3番目ということになってしまった。その後、天龍源一郎が長きにわたってベルトを保持し、天龍の代名詞といわれるまでになった[6]。 1989年4月18日に鶴田が本王座、PWF王座、インター王座の三冠を統一してからは、三冠ヘビー級王座のベルトの一本として定着する。 プロレスリングZERO1にてNWA UNヘビー級王座という同名の王座が存在しているが、こちらの王座は継承や復活ではなく、新たに認定された王座で関連性はまったくない[7]。 歴代王者
主な記録
脚注
外部リンク関連項目
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