ユーゴスラビア鉄道802形気動車

ユーゴスラビア鉄道802形気動車
ポルトガル鉄道9700形気動車
ユーゴスラビア鉄道802形気動車(1968年撮影)
基本情報
運用者 ユーゴスラビア鉄道
ポルトガル鉄道(譲渡先)
製造所 ジュロー・チャコビッチ英語版
製造年 1963年 - 1969年
製造数 48両(4両編成12本)
運用開始 1968年(ユーゴスラビア鉄道)
運用終了 2001年(ポルトガル鉄道)
主要諸元
編成 2両 - 4両編成
軸配置 2'Bo' + Bo'2' + 2'Bo' + Bo'2'(4両編成時)
軌間 760 mm(ユーゴスラビア鉄道)
1,000 mm(ポルトガル鉄道)
最高速度 60 km/h
車両定員 先頭車 74人(着席38人)
中間車 73人(着席43人)
車両重量 先頭車 22.5 t
中間車 21.5 t
編成長 59,500 mm
車体長 先頭車 14,500 mm
中間車 14,500 mm
車輪径 750 mm
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 9,900 mm
機関 Fiat 221 HO 710(水平対向エンジン
機関出力 185 hp (138 kW)
歯車比 3.98
編成出力 594 hp (443 kW)
制御装置 空気ブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6]に基づく。
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ユーゴスラビア鉄道802形気動車(ユーゴスラビアてつどう802がたきどうしゃ)は、かつてユーゴスラビアの国営鉄道であったユーゴスラビア鉄道が所有していた鉄道車両軌間760 mm狭軌路線向けに導入され、引退後は対応軌間を改めた上でポルトガルポルトガル鉄道へ譲渡された[1][2]

概要

ユーゴスラビア鉄道が所有していた軌間760 mm(ボスニア軌間)狭軌路線では、1930年代以降従来の蒸気機関車列車に代わる長距離向け車両として気動車488形(→801形)が使用されていたが、1960年代に入ると老朽化が課題となっていた。そこで、これらの車両の後継および狭軌路線の近代化を目的として製造されたのが802形である。製造はスラヴォンスキ・ブロドに工場を有するジュロー・チャコビッチ英語版が手掛けた[1][2][3][5]

編成長59.5 mの4両編成で、全車ともフィアット製の6気筒4ストローク水平対向ディーゼルエンジン(221 HO 710)が備えられた動力車であり、エンジンからの動力は歯車によって動力台車に伝達される構造であった(機械式気動車)。車両番号については、先頭車は0番台(802 001 - 802 024)、中間車は500番台(802 501 - 802 524)となっていた[1][5][6][7]

運用

1963年から1969年にかけて4両編成12本、合計48両が製造され、1968年以降ベオグラードサラエヴォドゥブロヴニクなど各都市を結ぶ都市間長距離列車として用いられた。また、1編成はヨシップ・ブロズ・チトー大統領が乗車する特別列車としての使用を考慮した設計となっていた。だが、ユーゴスラビアにおける軌間760 mmの狭軌路線は軌間1,435 mm(標準軌)への改軌や路線自体の廃止によって次第に縮小していき、802形自体もメンテナンス不足などの要因から車両状態が悪化し、最終的に1979年までに運用から撤退した[2][3][6][8]

その後、これらの車両のうち40両(4両編成10本)について、軌間1,000 mm(メーターゲージ)の路線で残存していた蒸気機関車の置き換えを目的にポルトガルポルトガル鉄道へ譲渡される事となり、台車のメーターゲージへの対応工事を行ったうえで1980年からトゥア線ポルトガル語版コーゴ線ポルトガル語版ヴォウガ線ポルトガル語版といった路線に投入された。また、これに合わせて形式名も9700形に変更された[注釈 1][2][3][4][9][8]

だが、運行開始後はフィアット製のディーゼルエンジンや機械式変速機の故障が相次いだ他、外開きの乗降扉が乗客の乗降に支障をきたす、車両の振動が激しいなどの諸問題が発生した。その結果早期に改修工事が行われたものの、輸送力の兼ね合いもあり4両編成での運用は中止され2両・3両編成での使用が主体となり、編成から外された中間車は部品取り車両として車庫に留置された[4][9][8][10]

その後、1992年から18両(3両編成6本)についてディーゼルエンジンを始めとした機器の交換、車内の改修と言った大規模な更新工事が実施され、形式名も9400形に改められた。また、中間車のうち1両(9738)についてはギフォエンスポルトガル語版にあるEMEFポルトガル語版の工場へ従業員を輸送する両運転台の事業用車へ改造され、「TGV・デ・ギフォエンス(TGV de Guifões)」という愛称で2000年代中盤まで使用された。加えて、残存した車両についても車体の新造を含めた大規模な更新工事が実施される事になり、1995年以降9両が「LRV2000」こと9500形ポルトガル語版となった。これらの改造を受けなかった車両(12両)については以降も予備車として残存したが2001年に運用から離脱している[3][4][9][10][11][12][13][14]

脚注

注釈

  1. ^ 先頭車は「9701 - 9720」、中間車は「9721 - 9740」という車両番号が与えられた。

出典

  1. ^ a b c d Série 9700”. Caminhos de Ferro Portugueses. EP. 2000年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e V. Milojević. “PRUGE USKOG KOLOSEKA Povratak ćirinog piska”. Planeta. 2024年11月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e W.J.K. Davies (2005-12-12). The light railway railcar in western Europe: from inception to maturity by W.J.K. Davies. Plateway Press. pp. 258-263. ASIN B01K968VNM. ISBN 1871980526 
  4. ^ a b c d “Automotoras Allan de Via Estreita - meio século de existência”. O Foguete (Associação de Amigos do Museu Nacional Ferroviário) 4 (13): 10. (2005). ISSN 1647-7073. 
  5. ^ a b c Carlos Loução 2017, p. 16.
  6. ^ a b c Carlos Loução 2017, p. 17.
  7. ^ “JZ-802”. L'Echo du Rail (Editions du Cabri) (318). (June 2009). 
  8. ^ a b c Carlos Loução 2017, p. 18.
  9. ^ a b c Automotoras”. Transportes XXI. 2024年11月30日閲覧。
  10. ^ a b Carlos Loução 2017, p. 19.
  11. ^ Carlos Loução 2017, p. 20.
  12. ^ Carlos Loução 2017, p. 21.
  13. ^ Carlos Loução 2017, p. 22.
  14. ^ 9500 Series (9501-9509)”. Combinos de Portgal. 2008年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月30日閲覧。

参考資料

Carlos Loução (March 2017). “A frota de “Donas Xepa””. Trainspotter (Portugal Ferroviário) (79): 16-25. https://portugalferroviario.net/wp-content/uploads/2017/03/2017-03.pdf 2024年11月30日閲覧。. 

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

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