ラッセル・シュウェイカート

ラッセル・シュウェイカート
Rusty Schweickart
1971年のシュウェイカート
NASA所属宇宙飛行士
現況 引退
生誕 1935年10月25日
アメリカ合衆国ニュージャージー州ネプチューン
過去の職業 軍人
階級 アメリカ空軍大尉
宇宙滞在期間 10日1時間
選抜試験 1963年NASA宇宙飛行士採用試験合格者英語版
宇宙遊泳回数 1回
宇宙遊泳時間 1時間17分
ミッション アポロ9号
記章
退役 1977年
受賞 NASA功労勲章NASA特別功労勲章
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ラッセル・L・シュウェイカート(Russell Louis "Rusty" Schweickart または Schweikart、1935年10月25日 - )はアメリカ合衆国宇宙飛行士である。着陸船の初の有人試験を行った、アポロ9号の月着陸船操縦士として241時間の宇宙飛行を行った。

経歴

ニュージャージー州ネプチューンに生まれた。マサチューセッツ工科大学で航空工学を学び1956年に理学学士号を、1963年に理学修士号を取得した[1]。大学在籍中に実験天文学研究所の研究員を務め、高層大気物理学、星の追跡、恒星画像の安定化の研究を行っていた。また1956年から1963年までアメリカ空軍とマサチューセッツ州空軍州兵でパイロットを務めた[2]。1963年10月にNASAによって宇宙飛行士に選ばれ、1969年3月、アポロ9号の月着陸船操縦士としてはジェームズ・マクディビットデイヴィッド・スコットとともに宇宙飛行を行った。月飛行に用いられる生命維持装置の試験も任務で、当初月着陸船から司令船に船外移動実験が予定されていた。シュウェイカートは軌道に乗った最初の日から宇宙酔いに悩まされ、船外移動実験は中止されたが、回復後月着陸船のハッチで宇宙服を着て船外活動した。この飛行では、宇宙からの実況中継テレビ放送され、エミー賞を受賞した。

「人間という種とこの地球の関係をもっと深く考えなければならないと思った。私の目の下では、ちょうど、第三次中東戦争がおこなわれていた。人間同士が殺し合うより前にもっとしなければならないことがある。人間と人間の関係も大切だが、人間という種と他の種との関係、人間という種と地球との関係をもっと考えろということだ。」[3]

シュウェイカートは、宇宙遊泳の際、地球を見つめてこのような感懐を抱いたという。

飛行後、宇宙酔いの研究のためにアポロ計画のメンバーから外れたが、1973年5月から6月にかけて行われたスカイラブ2号の予備飛行士を務めている。NASA勲功章(1969年)[4]、NASA特別勲功章(1973年)を受勲した。

小惑星の衝突から地球を守るためのグループ、B612財団の設立者の1人である。

1985年にアレクセイ・レオーノフらと、宇宙探検家協会を設立した[5]

脚注

  1. ^ Biographical Data for Russell L. (Rusty) Schweickart” (英語). NASA (2006年9月). 2021年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月15日閲覧。
  2. ^ Russell L. Schweickart” (英語). New Mexico Museum of Space History. 2025年7月15日閲覧。
  3. ^ 『最新版 倫理資料集』清水書院編集部編 清水書院 140ページ
  4. ^ Article clipped from Florida Today」『Florida Today』1969年3月27日、14A。2025年7月15日閲覧。
  5. ^ 世界宇宙飛行士会議とは?”. iss.jaxa.jp. 2025年7月15日閲覧。
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