ラ・ノビア「ラ・ノビア」(La Novia )は、チリの音楽家ホアキン・プリエートが1958年に作詞・作曲した歌曲。本国だけではなくイタリアの歌手トニー・ダララや、日本の歌手ペギー葉山らがカバーし、世界中でヒットした。 オリジナル元々は、チリの音楽家ホアキン・プリエートが1958年につくった歌曲[1]である。1961年にアルゼンチンで活動するホアキンの兄弟のアントニオ・プリエートが歌い[2]、ヒットした。 歌詞の内容は、本意でない結婚を前にした女性の悲しみである。 1961年、イタリアの人気歌手トニー・ダララがイタリア語でカバーしたことで、世界中へのヒットにつながっていく。なお、トニ・ダララの「ラ・ノビア」は、日本では当初「涙の結婚」という邦題がつけられていた。 日本でのヒット日本語にはあらかわひろし(音羽たかし)が翻訳し、ペギー葉山が1962年にこの歌をカバーした。ペギー葉山は、ブラジルのサンパウロでこの歌を知ったため、日本語とポルトガル語で歌っている[3]。当時、日本では空前のカンツォーネ・ブームだったこともあり[3]日本で大ヒットした。ペギーのバージョンは1963年10月頃から売れ始め、1964年には大ヒット曲になった[4]。1964年の『第15回NHK紅白歌合戦』にペギーはこの歌で出演している。なお、ペギーの初期のバージョンは当初「泣きぬれて」というタイトルだった。ちなみに邦題は「涙の結婚」、「涙のウェディングベル」、「ザ・ウェディング」とカバーした歌手によって邦題が違う場合がある。 主な録音主な録音、歌唱、カバーなど ほか 英語圏でのヒットフレッド・ジェイがこの歌を英語に翻訳すると(英語タイトルは The Wedding)、ヨーロッパとアメリカ合衆国で知られるようになり、1960年代前半には、アニタ・ブライアントやマルコム・ヴォーンら多数の歌手がこの歌をカバーした。 1964年にイギリスの歌手ジュリー・ロジャースがこの歌をカバー、10月に全英シングルチャートで最高3位を記録する[5]大ヒットとなると、翌年にはアメリカ合衆国の総合シングルチャートで最高10位[6]を、アダルトコンテンポラリ・チャートでは1位を記録する[6]。オーストラリアのケント・ミュージック・レポートでも1位を記録し、1970年代中頃には世界で700万枚以上の売上を記録した[1]。 脚注
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