リチャード・バトラー (第5代マウントガーレット子爵)第5代マウントガーレット子爵リチャード・バトラー(英語: Richard Butler, 5th Viscount Mountgarret、1706年2月没)は、アイルランド王国の軍人、貴族。 生涯第4代マウントガーレット子爵エドマンド・バトラーと1人目の妻ドロシー・トゥチェット(Dorothy Touchet、1635年2月10日没、第2代キャッスルヘイヴン伯爵マーヴィン・トゥチェットの娘)の息子として生まれた[1]。 カトリックだったため1658年にリヴァプールで、1678年にダブリン城で投獄された[2]。また、フランス軍で陸軍大尉を務めたことがあり、1689年にはジェームズ2世のアイルランド軍で騎兵大尉を務めた[1]。 1679年に父が死去すると、マウントガーレット子爵の爵位を継承した[1]。1692年10月19日にアイルランド貴族院議員への就任を主張したが、最高権の誓約を拒否したため、1698年10月19日のアイルランド貴族院決議により排除された[1]。ただし、貴族院から排除されるまでの1697年に貴族院決議を得て、父方の祖父にあたる第3代マウントガーレット子爵リチャード・バトラーの無法者(outlawry)宣言の取り消しに成功した[2]。貴族院は1715年に1697年の決議が第3代子爵の無法者宣言を取り消していないと裁定を下したが、1721年に改めて無法者宣言の取り消しを宣言した[2]。 1706年2月に死去、息子エドマンドが爵位を継承した[1]。 家族1661年9月、エミリア・ブランデル(Emilia Blundell、1682年没、ウィリアム・ブランデルの娘)と結婚、3男をもうけた[2]。
その後、マーガレット・バトラー(Margaret Butler、1703年10月以降没、ギルバート・バトラーの娘)と再婚した[2]。 出典
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