ルイス・ヒメネス (1982年生の内野手)
ルイス・アントニオ・ヒメネス・カマカーロ(Luis Antonio Jiménez Camacaro, 1982年5月7日 - )は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(内野手)。 経歴マイナー時代1999年にオークランド・アスレチックスと契約。 その後、ボルチモア・オリオールズ、ロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグチームでプレーする。 2006年2月1日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。この年はAA級ポートランド・シードッグスでプレー。オフの12月20日にマイナー契約で再契約した。 2007年はスプリング・トレーニングに招待選手として参加する。同年はボルチモア・オリオールズ傘下のAA級ボウイ・ベイソックスでプレー。オフの11月27日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。 2008年はAA級ハリスバーグ・セネターズでプレー。マイナーリーグ通算100本塁打を記録した。シーズン終了後にFAとなった。 日本ハム時代2009年に日本プロ野球(NPB)の北海道日本ハムファイターズの春季キャンプにテスト生として参加し、2月16日に契約を結んだ。開幕から一軍登録され、4月3日の東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕戦に「6番・一塁手」でスタメン出場した。その後は主に相手チームの先発投手が右投手の際に、一塁手として試合に出場した。しかし、5月以降は2割を下回る程の打撃不振に陥り6月9日に登録抹消された。その後は一軍に上がれないまま7月27日に戦力外通告を受け、シーズン途中で退団した。最終成績は39試合で打率.231、5本塁打、14打点だった。チーム統轄本部長の島田利正は戦力外の理由として、成績不振に加えて練習態度などにも問題があったためだとした[1]。 マリナーズ時代2011年1月7日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び[2]、AAA級タコマ・レイニアーズでプレー。 2012年は開幕からAAA級タコマでプレーし、125試合の出場で打率.312、20本塁打、OPS.911の好成績を残し、9月4日の対ボストン・レッドソックス戦(セーフコ・フィールド)でメジャーデビュー。9月7日の対オークランド・アスレチックス戦でメジャー初安打を放つ。 マリナーズ退団後2012年12月11日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。 2013年はAAA級バッファロー・バイソンズでプレーした。オフの12月11日に韓国プロ野球(KBO)のロッテ・ジャイアンツと契約した。 2014年はひざなどの故障もあり80試合の出場にとどまり、同年限りでロッテを退団した。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。 2015年7月6日にメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズと契約。オフには、第1回WBSCプレミア12のベネズエラ代表に選出された[3]。チームが勝利したアメリカ、ドミニカ戦ではいずれも決勝打を放ち、打率.389、1本塁打、8打点をマークした。 2017年4月2日にレッドデビルズを解雇となる。 2018年5月3日にメキシカンリーグのオアハカ・ウォーリアーズと契約。22試合に出場し、打率.316、5本塁打、15打点の成績を残したが、シーズン途中で解雇された。 その後は所属球団なく、母国ベネズエラのウィンターリーグでのみプレーしている。 プレースタイル・人物長打力と、巨体を揺らしながらの全力疾走が持ち味。体重120kgは日本球界在籍時、最重量だった。 2009年シーズン開幕前、札幌テレビ放送の『どさんこワイド180』にターメル・スレッジと共演した際、出された寿司に苦手のワサビが入っており悶絶。愛嬌のあるキャラクターとして認知されるようになった。 ダボダボのズボンや気温の低い試合での大袈裟なネックウォーマー、デーゲームでの派手なサングラス、カイロを手で持ちながら守備に就くなどの姿が話題になった。 毎日のようにマクドナルドに行き、てりやきマックバーガーをよく食べる。ついたあだ名は「マックの怪人」。 日本ハム主催の試合中に、エキサイトシートの子供に対しボールを投げてプレゼントしようとしたところ、スーツを着た会社員風男性が横取りをしたのを見て怒り、ボールを取り損ねた子供に対し「NEXT!」(次な!)と言って実際に次のイニングの際にボールを持ってその子供に手渡し、観客から拍手を浴びた。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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