ルース・スタイルス・ガネット
ルース・スタイルス・ガネット(英語: Ruth Stiles Gannett[1]、1923年8月12日[2] - 2024年6月11日[3])は、アメリカの児童文学作家[3]。『My Father's Dragon』『Elmer and the Dragon』『The Dragons of Blueland』(日本語題『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』『エルマーと16ぴきのりゅう』)の3部作の著者として知られる。 経歴1923年8月、ニューヨーク州ブルックリン区で誕生した[4]。父はジャーナリスト、母はイラストレーターであり、書くことが自然な家庭に育った[5]。ガネット自身も3歳の頃から、当時通っていた保育学校が創作活動を重視していた影響で[1][6]、物語を考えることを好んでいた[7]。1944年にヴァッサー大学を卒業した後[8]、医学や戦中の兵器の研究所に勤めたが、諸事情で数か月で退職した[9]。 22歳のとき、アルバイトの傍らで[7]、処女作となる『My Father's Dragon』(エルマーのぼうけん)を書き始め[4]、児童文学に詳しい父、挿絵画家の義母(離婚した父の再婚相手)、後に夫となる恋人の画家ピーター・カーンの協力を経て[4]、1948年に『My Father's Dragon』を刊行した[10]。同1948年、当時ニューベリー賞と並んで権威のあったニューヨーク・ヘラルド・トリビューン春の児童図書賞を受賞し[4][11]、翌1949年にはニューベリー賞優秀作品にも選ばれた[12][13]。 1951年までに、『Elmer and the Dragon』(『エルマーとりゅう』)、『The Dragons of Blueland』(『エルマーと16ぴきのりゅう』)を著した。『My Father's Dragon』を含むこの計3部作は10か国語に翻訳され[12]、世界的ベストセラーとなった[3]。数々の外国語訳の中でも、日本語訳は最初の外国語訳であり、ガネットにとって印象深いものとなった[5]。 このシリーズ刊行後、職業作家にはならず[14]、執筆活動はほとんど行わなかった[7]。『My Father's Dragon』などを執筆した理由は「子供の頃の物語を作る楽しみを、大人になってまた味わいたくなった[15]」「子供の頃のように自分が楽しむためであり、仕事としてではない[16]」「作家になりたいと思ったことは一度もない[15][16]」と語っていた。その一方で差別に反対し、ワシントンでの全米黒人地位向上協会の活動や、核軍縮運動にも参加した[7][13]。 私生活では1947年に、『My Father's Dragon』刊行に協力したピーター・カーンと結婚した[13]。「大人になったら、ずっと『お母さん』をやりたいと思っていた[17]」と語っており、7人の娘の母としての生活を大切にした[14]。2018年までに、孫8人、曾孫1人に恵まれた[18]。2024年6月にアメリカで、満100歳で死去した[19]。 著作
脚注
参考文献 |
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