レオネル・カンポス
レオネル・エンリケ・カンポス・リナレス(Leonel Enrique Campos Linares, 1987年7月17日 - )は、ベネズエラ・トルヒージョ州バレラ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとパドレス時代2010年12月21日にサンディエゴ・パドレスと契約してプロ入り[2]。 2011年、A-級ユージーン・エメラルズでプロデビュー。1試合に登板し、防御率18.00だった[2]。6月12日に右肘の故障で離脱し、トミー・ジョン手術を受けた。 2012年は前年の手術の影響で、シーズンを全休した。 2013年はA級フォートウェイン・ティンキャップスで28試合に登板し、2勝1敗5セーブ・防御率2.23・63奪三振の成績を残した[2]。6月にAA級サンアントニオ・ミッションズへ昇格。AA級サンアントニオでは26試合に登板し、1勝0敗2セーブ・防御率0.88・43奪三振の成績を残した[2]。 2014年はAAA級エル・パソ・チワワズで開幕を迎えたが、11試合の登板で、防御率11.70と結果を残せず、5月にAA級サンアントニオへ降格[2]。AA級サンアントニオでは31試合に登板し、2勝7敗1セーブ・防御率5.62・95奪三振の成績を残した[2]。9月1日にメジャー契約を結び[3]、3日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でメジャーデビュー[2]。4点ビハインドの8回表1死から登板し、0.2回を無安打無失点に抑えた[4]。この年は6試合に登板し、防御率5.14・9奪三振の成績を残した[2]。 2015年はAAA級エル・パソでプレーし、38試合に登板して2勝0敗1セーブ・防御率2.90・68奪三振の成績を残した[2]。8月3日にメジャー昇格し、リリーフ登板したが、その日のうちにマイナー降格された。直後に戦線離脱し、8月5日以降の残りシーズンを欠場。結果的にメジャー登板は1試合のみ終わった[2][5]。 ![]() 2016年もAAA級エル・パソでプレーし、37試合に登板して2勝1敗1セーブ・防御率4.32・62奪三振の成績を残した[2]。メジャーでは自己最多の18試合に登板して1勝0敗・防御率5.73・24奪三振の成績を残した[2]。 ブルージェイズ時代2016年11月18日にウェイバー公示を経てトロント・ブルージェイズへ移籍した[6]。2017年1月23日にフアン・グラテロルの加入に伴ってDFAとなり[7]、27日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級バッファロー・バイソンズへ配属された。開幕前の2月8日に指名投手枠で第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された(途中参加はせず)[8]。 シーズンでは開幕からAAA級バッファローでプレーしていた。4月22日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[2]。8月28日にメジャー再昇格[9]したが、29日にブレット・アンダーソンのメジャー昇格に伴い、オプションでAAA級バッファローに降格した[10]。この年メジャーでは13試合に登板して防御率2.63・15奪三振の成績を残した。オフの11月6日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級バッファロー・バイソンズへ配属された[11]後、7日にFAとなった[12]。 広島時代2017年11月22日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[13]。しかし、広島東洋カープが獲得することを前提に、12月20日に契約解除されると、同日中に広島から契約が合意に達したと発表された[14][15]。2018年1月26日にマツダスタジアムで入団会見を行った[16]。 2018年は1試合の登板に終わり、11月14日に契約解除が発表された[17]。 広島退団後広島退団後はベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)でプレーを続けている[18]。 2021年からは、メキシカンリーグのレオン・ブラボーズに所属している[19]。 詳細情報年度別投手成績
記録NPB
背番号
脚注
関連項目
外部リンク
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