ローマ教皇庁科学アカデミー![]() ローマ教皇庁科学アカデミー(ローマきょうこうちょうかがくアカデミーイタリア語: Pontificia accademia delle scienze、ラテン語: Pontificia Academia Scientiarum)は、バチカン市国の科学アカデミーである。1936年にピウス11世によって改組。設立された[1]。数学、物理、自然科学や関連する認識論的問題の研究の進展を推進するために設立された。 歴史・概要前身は1847年に設立された、新リンチェイ教皇庁立アカデミア(Accademia Pontificia dei Nuovi Lincei)で、1603年にフェデリコ・チェージが中心となって設立し、ガリレオも会員となった学会、アッカデーミア・デイ・リンチェイ(山猫学会)の名前を冠していた[2]。山猫学会は30年ほどで活動を止めたが、イタリアで何度かその名前を受け継ぐ学会が作られ、ファシスト政権下でイタリア王立アカデミーに吸収された後、1946年にローマにイタリア国立山猫学会(L'Accademia Nazionale dei Lincei)として再建されたアカデミーとは別の組織てある。 初代のアッカデーミア・デイ・リンチェイは17世紀後半に創立者でパトロンの死によって活動を中止した。1847年にピウス9世が新リンチェイ教皇庁アカデミアとして再建し、1936年にピウス11世が名称を変え、改組した。ファシスト色の強いイタリア王国アカデミーが、王立アッカデーミア・デイ・リンチェイ(La Reale Accademia dei Lincei)を吸収したのは1938年である。 1936年の自発教令"In multis solaciis"でピウス11世はアカデミー設立の目的について次のように述べた。
バチカン庭園のピウス4世宮殿に本部を置き[4]、アーネスト・ラザフォード、マックス・プランク、オットー・ハーン、ニールス・ボーア、アーウィン・シュレーディンガー、チャールズ・タウンズらのノーベル賞受賞者が過去の会員として選ばれている。会員の定員は当初、80人で、そのうち70人が終身会員であった。1939年にピウス11世が死去すると、アカデミーは同年にピウス11世メダルを設立した。1986年にヨハネ・パウロ2世によって終身会員の定員が80名に増やされ、何人かの科学者が任命された。 活動ローマ教皇庁が運営しているが会員の国籍、政治的立場、宗教的立場に影響をうけずに科学的な情報を発表できる。主な分野は、以下の分野である。 物理学、天文学、化学、地球科学、生命科学、数学、応用科学(工学)、科学哲学・科学史の分野に分けられている。 主な出版物には以下のようなものがある。[5]
歴代の会長
参考文献 |
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