ローマ筆記体![]() ローマ筆記体(ローマひっきたい)は、ラテン筆記体ともいい、古代ローマおよび中世の一部の時代に使われた手書きの書体である。通常は古筆記体と新筆記体に分けられる。 古ローマ筆記体古ローマ筆記体は、大文字の筆記体とも呼ばれ、日常的な手書き書体で、商人が帳簿をつけたり、学校の生徒がラテン文字を習うのに使ったり、あるいはローマ皇帝が詔勅を書くのにも使われた。 より正式の書き方はローマ大文字体であったが、筆記体は急いで非公式に書くときに使われた。 紀元前1世紀から西暦3世紀にかけて最も一般的に使われたが、おそらくそれ以前から存在したと思われる。 紀元前2世紀初めに、プラウトゥスはプセウドールスにおいて、筆記体の読みにくさについて以下のように記している。
![]() 釈文 uobis · ujdetur · p · c · décernám[us · ut · etiam] prólátis · rebus ijs · júdicibus · n[ecessitas · judicandj] imponátur quj · jntrá rerum [· agendárum · dies] jncoháta · judicia · non · per[egerint · nec] defuturas · ignoro · fraudes · m[onstrósa · agentibus] multas · aduersus · quas · exc[ogitáuimus]... 古ローマ筆記体は、原型が分からないほど変化しており、同じ「ラテン文字」である今の筆記体に慣れた現代人にとっては、きわめて読みづらい。多くの合字を使用しており、いくつかの文字は互いに区別しがたい。a はアンシャル体の a に似ているが、左画はまだまっすぐである。b と d は区別が難しく、e は(s と同様)上まで使って書かれており、p と t は非常によく似ており、v はベースラインより上に書かれて、シェブロンに似た形になっている[1]。 新ローマ筆記体![]() 釈文 domino suo achillio, uitalis. cum in omnibus bonis benignitas tua sit praedita, tum etiam scholasticos et maxime, qui a me cultore tuo hono- rificentiae tuae traduntur, quod honeste respicere velit, non dubito, domine praedicabilis. Quapropter Theofanen... 新ローマ筆記体は、小文字筆記体または後期ローマ筆記体とも呼び、古ローマ筆記体から発展した。西暦3世紀から7世紀ごろに使われ、現代人にとって、より見分けやすい文字を使用している。 a、b、d、e は、今の人間に親しみやすい形をしており、それ以外の文字もベースラインの上で大きくサイズや位置を変えることなく、互いの比率を保って書かれる。 この書体を部分的には元にして「カロリング小文字体」として知られる書体が発明され、9世紀にアーヘンとトゥールで発達し、カール大帝の帝国において手書き書体を統一する目的で普及された。 カロリング小文字体は、その後、読みにくいブラックレターに発展して使われなくなっていたが、ルネサンスで復興され、現代の小文字の元になった。 アンシャル体と半アンシャル体もおそらく新ローマ筆記体から発達したものと考えられ、a、g、r、s の形が特によく似ている[2]。 Jan-Olaf Tjäder によると、新ローマ筆記体はアンシャル体だけではなく、中世に使われた全ての書体に影響した[3][4]。ゲール文字は、アンシャル体が後世まで使われた例である。 関連項目脚注
参考文献
関連文献
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