ヴァージル・メイシー・ウィリアムズ
ヴァージル・メイシー・ウィリアムズ(Virgil Macey Williams、1830年10月29日 - 1886年12月18日)は、アメリカ合衆国の画家、美術教師である。ヨーロッパで修行した後、サンフランシスコの美術学校で美術教師として働いた[1][2][3]。 略歴メイン州オックスフォード郡のディクスフィールド(Dixfield)の旧家に生まれた。ニューヨークのブラウン大学で画家のダニエル・ハンティントン(1816-1906)に学んだ後、1853年から1860年の間はヨーロッパに渡り、パリやローマで修行した。イタリアで活動していたアメリカ人画家、ウィリアム・ページ(1811-1885)らに学び、ページの娘と結婚した。1860年に帰国した後はボストンで働き、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学で美術を教えた。 1862年にカルフォルニアに招かれ、サンタバーバラの美術学校で教えた。1871年にワンデスフォルデ(Juan Buckingham Wandesforde: 1817–1902)らとサンフランシスコ芸術協会(San Francisco Art Association)の設立メンバーになり[4] 、初代会長になり、協会の美術学校であるカルフォルニア絵画学校(California School of Design)の校長になり、亡くなるまでその仕事を続けた。この美術学校は、後にSan Francisco Art Instituteとなった[1]。 画家としてはおもに風景画を描いた。 1886年にカリフォルニア州ナパ郡のセント・ヘレナ(St. Helena)で亡くなった。ウィリアムズが教えた学生には Harry Stuart Fonda[5] やJohn Marshall Gamble[6]らがいる。 作品
参考文献
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