ヴィクトリア・マルガレーテ・フォン・プロイセン
ヴィクトリア・マルガレーテ・フォン・プロイセン(Viktoria Margarete Prinzessin von Preußen, 1890年4月17日 - 1923年9月9日)は、ドイツ・プロイセンの王族。 生涯プロイセン王子フリードリヒ・レオポルトとその妻でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世の娘ルイーゼ・ゾフィーの間の第1子、長女として生まれた[1]。全名はヴィクトリア・マルガレーテ・エリーザベト・マリー・アーデルハイト・ウルリーケ(Viktoria Margarete Elisabeth Marie Adelheid Ulrike)。 父方の祖父母はプロイセン王子フリードリヒ・カールとアンハルト公女マリア・アンナ、母方の祖父母はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク公爵家の家長フリードリヒ8世とホーエンローエ=ランゲンブルク侯女アーデルハイト。弟にフリードリヒ・ジギスムント、フリードリヒ・カール、フリードリヒ・レオポルトがいる。母の長姉アウグステ・ヴィクトリアはドイツ皇帝・プロイセン王ヴィルヘルム2世の皇后だったため、ヴィルヘルム2世の義理の姪にあたった。 ![]() 1913年5月17日にポツダムの新宮殿において、ハインリヒ33世・ロイス・ツー・ケストリッツと結婚した。夫はロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ7世とザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公女マリー夫妻の次男で、ヨーロッパで最も古い歴史を持つ王侯の1つであるロイス家の一員だった。結婚式の際は皇帝ヴィルヘルム2世に腕を支えられてヴァージンロードを歩いた[2]。夫妻は間に1男1女をもうけたが、1922年に離婚した。 まもなく従弟のアウグスト・ヴィルヘルム王子との再婚話が持ち上がったが、翌1923年にインフルエンザで急死した。 グリーニケ城の霊廟に葬られた。 子女
系譜
脚注
外部リンク
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