ヴィンチェンツォ・イアクインタ
ヴィンチェンツォ・イアクインタ(Vincenzo Iaquinta, 1979年11月21日- )は、イタリア・カラブリア州クロトーネ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。現役時代のポジションはフォワード。なお、姓名の表記には揺れがある(表記参照)。 経歴クラブ長くウディネーゼのエースストライカーを務めた実力者。2002-03シーズンに7ゴールを挙げ、チーム内の得点王になると一気にブレイクした。翌年からはリーグの得点王争いにも顔を出すようになる。2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグデビュー戦となるオリンピアコス戦でハットトリックを達成。 2007年6月19日、セリエAへ復帰したユヴェントスFCへ移籍[1]。加入から数年間は貴重なゴールを挙げるなど活躍していたが、2009-10シーズンからの3年間は怪我に悩まされていた。2011年のアントニオ・コンテの監督就任以降は構想から外れるようになり、2012年1月31日にチェゼーナに半年間のレンタル移籍[2]。2012-13シーズンは背番号9番を剥奪され、一度もトップチームでプレーする機会はなかった。 2013年7月22日、ユヴェントスFCとの契約が切れるに伴い現役引退を発表した[3]。 代表U-21イタリア代表にも招集されていたが、当時はレギュラーではなくエミリアーノ・ボナッツォーリの控えだった。 2006 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1節のガーナ戦で代表初ゴールを決めるなど、フォワードの控えとしてイタリアの4度目の優勝に貢献した。 UEFA EURO 2008には大会前に負った怪我が原因で招集されなかった。 2010 FIFAワールドカップには招集され、グループリーグ全3試合にフル出場した。第2節のニュージーランド戦ではPKにより得点を奪った[4]。 引退後2015年12月、銃器の違法所持とカラブリアのマフィアへの援助の疑いにより父親と共に起訴された[5]。 2018年10月31日、レッジョ・エミリアの裁判所から自身は禁固2年、父親は禁固19年の判決を言い渡された[6]。自身の判決は銃器の違法所持によるもので、マフィアへの援助は認められなかった[5]。 個人成績
代表歴出場大会試合数
表記の揺れ姓「Iaquinta」の発音は「ヤクウィンタ」が近いが、慣例的にイタリア語の"ia"は「イア」と記す事が多く、「qui」の部分はIPA:[kwi](クウィ)だが、「クィ」や「クイ」が当てられる。このため、「イアクインタ」「イアクィンタ」「ヤクィンタ」などと表記される。 なお、ドイツW杯の際にNHKはイアキンタと表記した。名の揺れはヴィンチェンツォ#表記の揺れを参照。 出典
外部リンク
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