一宮市尾西歴史民俗資料館
一宮市尾西歴史民俗資料館(いちのみやしびさいれきしみんぞくしりょうかん)は、愛知県一宮市起下町211にある博物館。 現代建築の本館、旧林家住宅を用いた別館からなる。美濃路起宿、尾西市の地場産業である尾張縞・毛織物を中心とした資料の収集や展示を行っている。 歴史林家の歴史美濃路起宿に脇本陣が設置されたのは寛永18年(1641年)のことである[2]。享保5年(1720年)には林茂右衛門が脇本陣を譲り受け、船庄屋とともに家業とした[2]。江戸時代中期には国学者である加藤磯足を輩出している。天保12年(1841年)の起宿には本陣1軒、脇本陣1軒、披本陣1軒、問屋2軒、旅籠22軒があった[2]。 1870年(明治3年)には本陣とともに脇本陣が廃止された[2]。1891年(明治24年)に発生した濃尾地震ではそれまでの林家の建物が倒壊した[3][4]。1913年(大正2年)、9代目当主の林英太郎によって林家住宅が建てられ、その後は裏座敷や北の間などが増築された[3]。昭和初期、10代目当主の林幸一によって日本庭園が整備された[5][3]。 博物館時代尾西市は2300万円をかけて旧林家住宅を整備し、1983年(昭和58年)5月に起宿記念館が開館した[2]。1986年(昭和61年)には起宿記念館の隣接地に尾西市歴史民俗資料館が開館し、起宿記念館は尾西市歴史民俗資料館別館に改称した。 2002年(平成14年)2月14日、別館が「旧林家住宅主屋及び裏座敷」として登録有形文化財に登録された[6]。2005年(平成17年)4月1日には尾西市が一宮市に編入され、一宮市尾西歴史民俗資料館に改称した。 2014年(平成26年)以後には専門の庭師が旧林氏庭園を手入れするようになった[5]。2019年(令和元年)10月16日、旧林氏庭園が登録記念物に登録された[5][3][4]。愛知県では名古屋市の鶴舞公園に次いで2例目である[5][3][4]。 一宮市は文化庁の補助を含めて約1億2000万円を投じ、2018年(平成30年)6月から2019年(令和元年)6月に別館の耐震補強・改修工事を実施した[4]。それまで別館が大正初期の建築であることはわかっていたが、梁の墨書きによって1913年(大正2年)の竣工であることが判明している[4]。2019年(令和元年)6月に工事を終えて再オープンした[4]。 本館展示資料や展示物は主に本館に展示されている。別館は建物及び内部が展示の対象である。本館の展示ギャラリー、別館の小会議室、あるいは別館全体を貸しきることも可能。 別館
建築
日本庭園日本庭園(旧林氏庭園)の面積は1157平方メートルである[4]。中央の園池、西側の主庭、裏座敷に面する坪庭からなり[3]、主庭には石灯籠や飛び石が配置されている[4]。凝った石組が最大の特徴である[5]。 マツ、イロハモミジ、ドウダンツツジなど、約300本の樹木が植栽されている[3]。秋季には紅葉が楽しめ、2017年(平成29年)11月には約6000人が訪れた[4]。
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脚注
外部リンク |
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