三菱自動車倉敷オーシャンズ
三菱自動車倉敷オーシャンズ(みつびしじどうしゃくらしきオーシャンズ)は、岡山県倉敷市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球の企業チームである(ただし後述のとおり一時期クラブチーム登録だった時代あり)。 略歴1947年、三菱重工業の水島製作所で『三菱重工水島硬式野球部』として創部し、1968年に都市対抗野球に初出場を果たした。 1970年、三菱重工業が自動車部門を三菱自動車工業として独立させたため、チーム名を『三菱自動車水島硬式野球部』に改称した。 1986年に日本選手権に初出場し、1990年には22年ぶりに都市対抗野球に出場した。 2001年オフに断行された三菱自動車工業の野球部統廃合の一環として、同チームは2003年からは同一の名称でクラブチームとして運営されることになった。 2004年からはチーム名を『三菱自動車水島硬式野球クラブ』としていたが、クラブ化されて本社からの財政的援助が受けられなくなり、また同年に発覚した三菱自動車工業の一連の不祥事を受け、同年の都市対抗野球の本戦出場を決めた直後、チーム名を『倉敷オーシャンズ』に変更し[1]、出場した。なお、三菱自動車水島時代にユニフォームにプリントされていたスリーダイヤのマークは、倉敷オーシャンズとなった現在も袖の部分に小さくプリントされている。 2007年、同じ倉敷市内で活動する創部2年目の倉敷ピーチジャックスに都市対抗の岡山県・鳥取県1次予選で敗れ、21年ぶりの1次予選敗退という屈辱を味わったが、その雪辱に燃えた日本選手権予選では倉敷ピーチジャックスを破り、中国地区予選でも全勝で本大会出場を決めた。 2009年、「三菱の名前で応援したい」という社員の声により、チーム名を『三菱自動車倉敷オーシャンズ』に変更し[2]、5年ぶりに三菱の名前が復活した。 2016年、再び会社登録の企業チームとなった[3]。しかし、同年春に発覚した三菱自工本社の燃費データ改竄に伴い、第87回都市対抗野球大会の予選大会出場を辞退した[4]。 2020年、チームとして16年ぶり、三菱の名前では19年ぶりとなる都市対抗野球に出場した。 所属選手はフルタイムでの勤務と野球を両立させてプレーしている[5]。 設立・沿革
主要大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
かつて在籍していた主な選手
脚注
関連項目
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia