世界エスペラント大会世界エスペラント大会(せかいエスペラントたいかい、Universala Kongreso de Esperanto, UK)とは、世界エスペラント協会(UEA)の年鑑によれば、UEAの主催のもとエスペランティストの行う国際的デモンストレーションである。UKは、文化的祭典、全世界的討論の場、観光の祭典、およびUEAの諸機関の実務会合を兼ねる。 UEAは毎年異なる国で大会を開くことにより、エスペラント運動の地理的分布および組織的活動の能力を尊重しようとしている。 開催地を決定するのはUEA理事会である。UEA事務総長は大会に関連する文書に署名し、大きな役割を果たすが、ロッテルダム所在のUEA事務員である大会常任書記(Konstanta Kongresa Sekretario)がUKの日常業務を遂行する。開催地では、地元大会組織委員会(Loka Kongresa Komitato)が活動する。 大会全体のプログラムは年によって異なるものの、次のような主な行事が開かれることがUKの伝統的特徴である。
世界大会は、エスペラント運動の博覧会となることを目的とするとともに、エスペランティストでない人の間でのエスペラントの認知度を可能な限り向上させることをも目的とする。 参加者などからの寄付を受け付ける特別の基金が設置される。夏までにUEAの中央事務所に届いた寄付は、大会冊子に記載される。2001年には、盲人基金(盲人エスペラント運動を支援するため)、親基金(国際少年少女大会を補助するため)、第三世界基金(第三世界のエスペランティストの参加を補助するため)、一般基金(UKの開催全般を支えるため)が設置された。 歴史大会に先立って1904年にドーバーとカレーで会合が設けられ、翌1905年にアルフレ・ミショーが主催してフランスのブローニュ=シュル=メールで第1回世界エスペラント大会が開催された。 初期のころは、大会ごとに次の大会の開催について決める方式をとっていた。ヘルシンキ方式が採用されていた1922年ごろから1932年ごろまでは国際中央委員会が大会を開催し、1933年からはUEAが開催している。1936年から1947年までの世界エスペラント協会お家騒動の期間は国際エスペラント連盟(IEL)が開催していた。50周年を迎える1955年には第40回大会がイタリアのボローニャで開かれ、第1回大会が開催されたブローニュ=シュル=メールと姉妹都市となった。ブローニュ=シュル=メールでは2005年3月にも、第1回大会を記念する大会が開かれている。参加者数最大を記録したのはエスペラントの発表100周年を記念して1987年ワルシャワで開かれた第72回大会であり、正式参加登録者数は5,986名にのぼった。 日本では現在までに2回開催されている。日本最初の大会は1965年に東京で開催された第50回大会である。日本で2回目の大会は2007年の8月4日から8月11日に開催された第92回大会で、横浜市で開催された。開会式はみなとみらい21のパシフィコ横浜で行われた。横浜での大会は日本エスペラント学会が日本でのエスペラント運動百周年(2006年)の記念事業として招致したものである。 過去および開催予定の大会のリスト![]()
脚注
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