世界推理作家会議世界推理作家会議(せかいすいりさっかかいぎ、International Crime Writers Congress)は、イギリスの推理作家のジュリアン・シモンズの提唱により始まった推理作家の国際大会・国際会議である。世界推理作家大会、世界ミステリ作家会議などとされる場合もある。第1回は1975年にロンドンで開催された。 概要1973年にジュリアン・シモンズが英国推理作家協会(CWA)に開催を提案。英国推理作家協会がアメリカ探偵作家クラブ(MWA)に打診し、開催が決まった。当初は3年に一度開催されていたが、第4回会議を1984年に日本で開催したいとの打診を日本推理作家協会が時期尚早として断ったため、第4回はその後だいぶ遅れて1988年に開催された。
その他の「世界推理作家会議」グルノーブルの世界ミステリ祭フランス南東部のグルノーブルで1987年10月に開催された世界ミステリ祭が「世界推理作家会議」、「国際推理作家会議」と呼ばれることがある。これはミステリファンの集まる大会で、ミステリ小説・映画フェスティバルといった趣きのイベントである。 1986年まではフランス北部のランスで国内規模のミステリ祭として開催されていたが、1987年には場所をグルノーブルに移して国際大会とされた。1987年の大会ではスペインのマヌエル・バスケス・モンタルバン、マルティン・ベックシリーズで知られるスウェーデンのマイ・シューヴァル、ソビエト連邦のユリアン・セミョーノフ、日本の松本清張など世界の約30名の作家が招待され参加している。フランスの推理作家ではレオ・マレ(Léo Malet)やA.D.G.が参加した。 国際推理作家協会1986年にはソビエト連邦のユリアン・セミョーノフ、メキシコのパコ・イグナシオ・タイボ二世、ウルグアイのダニエル・チャヴァリアらにより国際推理作家協会(AIEP アイープ)が設立されている。発足準備の会議ののち、第1回の理事会が1987年6月にソビエト連邦(当時)のヤルタで開かれた。議長は初代会長のユリアン・セミョーノフが務め、日本からは戸川昌子が参加した。 この国際推理作家協会の年に一度の大会・会議が「国際推理作家会議」と呼ばれることがある。2011年の大会はスイスのチューリッヒで開かれ、日本からはミステリ研究家の松坂健が参加した。 参考文献
関連項目
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