中央競馬クラシック三冠中央競馬クラシック三冠(ちゅうおうけいばクラシックさんかん)とは中央競馬で行われる皐月賞・東京優駿・菊花賞の3競走を指す。単に三冠競走とも称する[1]。 また、牝馬限定競走である桜花賞・優駿牝馬・秋華賞の牝馬三冠についても記述する。 概要イギリスのクラシック三冠戦を範として誕生した中央競馬の競走で、3歳牡馬・牝馬によって行われる。牝馬のみが出走可能なのは桜花賞、優駿牝馬、秋華賞であり、これら3競走が牝馬三冠と呼ばれる。 なお、牝馬三冠の最後の競走(ビクトリアカップ、エリザベス女王杯、秋華賞[注 1])は、イギリスのクラシックに相当する競走がなく[注 2]、創設当初から外国産馬にも開放されていたため、クラシック競走には含まれない。1969年ビクトリアカップ創設以前の日本には、現在の牝馬三冠目に相当する競走が存在せず、牝馬が三冠を狙う際には菊花賞に出る必要があった。 牡馬クラシック三冠または牝馬三冠を達成した内国産馬には報奨金が交付される[2]。 以下、模範となったイギリスのクラシック各競走と、日本でクラシック三冠または牝馬三冠全てに優勝した競走馬(三冠馬)を記す(三冠馬以外のクラシック競走勝利馬については「中央競馬クラシック競走優勝馬一覧」を参照)。 国際化出走条件は、3歳(旧4歳)馬[注 3]とされているが、長い間、種牡馬・繁殖牝馬の適性を審査するため、JRAに登録されている内国産馬限定で行われてきた[注 4]。その後、中央・地方交流促進の一環として、1995年から地方競馬の所属馬も出走できるようになり、さらに、2001年からは日本競馬の国際化が進み、段階的に外国産馬の出走が条件付きで解禁された。2010年以後は国際セリ名簿基準書のパート1競走に指定され[注 5]、2・3歳限定戦の重賞にも国際グレード格付けが行われるようになり、外国馬の出走制限が大幅に緩和された。しかし、2024年現在、外国産馬がクラシックを優勝したのは2007年優駿牝馬のローブデコルテのみで、牡馬が出走できる三冠では外国産馬の優勝がない。また、外国馬は一度も来日していない[3]。 元々、競馬の国際化を念頭に置いた「外国産馬の出走制限緩和策8年計画」(1992年策定)があったものの、日本の内国産馬の生産業界からの反発が強く、クラシック競走への解放は当初見送られていた。そのため、クラシックに出られない3歳馬のために「NHKマイルカップ」が「マル外のダービー」として開催され、第1回(1996年)は18頭中14頭が外国産馬で占められた。しかし、この「マル外解放」に呼応する形で、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスの「3大種牡馬」が輸入され、内国産馬が台頭。NHKマイルカップでは2002年にテレグノシス(トニービン産駒)が内国産馬で初優勝を達成し、その後も内国産馬の優勝が続いている。外国産馬の優勝は2001年のクロフネ以来、2021年のシュネルマイスターまで20年間なかった。また、出走馬全てが内国産馬の年も存在する[4] 登録料クラシック競走に出走するためには、クラシック登録料を3回にわたって支払う必要がある。通常、2歳の10月に第1回、3歳の1月に第2回、3歳のクラシック当該競走開催2週間前が第3回の締切日である(いずれも締め切り当日正午まで必着[3])。第1回登録の際に1万円、第2回に3万円、第3回に36万円、総額40万円を事前に払う必要がある。しかし、オグリキャップが1988年に笠松競馬場から中央に移籍した際、クラシック参加には中央への移籍と1987年のクラシック第1回登録を済ませる必要があり、結果的にクラシック出走はできなかった[注 6]。 これを踏まえて、1992年[5]から追加登録制度が設けられ、第3回締め切り時までに200万円を支払うことで、第1回締め切り時に登録を見合わせた馬も出走できるようになった[3]。この制度を利用したテイエムオペラオーは1999年の皐月賞を優勝し、その後もヒシミラクル(2002年菊花賞)、アローキャリー(2002年桜花賞)、メイショウマンボ(2013年優駿牝馬)、トーホウジャッカル(2014年菊花賞)、キタサンブラック(2015年菊花賞)の計6頭が追加登録制度を利用してクラシック制覇を達成している[5]。 日本軽種馬協会に血統登録されているサラブレッドの生産頭数日本ダービー時に「○○年(当該年の3歳馬の出生年)のサラブレッド、○○頭の頂点を決める」[6]という統計の説明があるが、そのバロメーターとなる日本における競走馬の血統登録されている生産頭数は、日本軽種馬協会に残されている1955年以後のデータでは、1955年はわずか660頭(サラブレッド系・準サラブレッド[注 7]も含む)だった。高度経済成長期に合わせるかのように1959年には初めて1000頭を突破(1031頭)し、その後も増加し続け、1976年には8470頭で第1次ピーク期を迎えた。 その後、一時期7000 - 8000頭前後で落ち着くが、1991年から1993年にはそれぞれ10054、10407、10188頭と1万頭を超え、第2次ピーク期を迎えた。しかし、その後のバブル崩壊により再び減少傾向に転じ、21世紀初頭には7000頭前後の水準に戻り、2023年現在は7800頭付近で推移している[7]。 クラシック三冠
牝馬三冠
主な記録変則三冠クリフジは1943年6月6日開催の東京優駿、10月3日開催の阪神優駿牝馬(現:優駿牝馬)、11月14日開催の京都農林省賞典四歳呼馬(現:菊花賞)を制したことで「(変則)三冠」と呼ばれることがある[30][31][注 91]。これは当時の優駿牝馬が現在と異なり秋施行で、菊花賞も11月下旬開催だったため可能だった。 連続した年の三冠達成記録年を連続しての三冠の達成はこれまでに2度あり、1度目はミスターシービーとシンボリルドルフが2年連続で達成し、2度目はアパパネ→オルフェーヴル→ジェンティルドンナが3年連続で達成した事例がある。また、2020年にはデアリングタクトとコントレイルが共に無敗で三冠を達成し、同一年での牡牝三冠の初めての事例となった。なお、コントレイルはジェンティルドンナ以来2例目の父子三冠達成であり、父子二代での無敗三冠達成は初めての事例となった。 三冠馬同士の対決中央競馬での三冠馬同士の直接対決は過去に3例・5レースある。特に第40回ジャパンカップでは、日本初となる3頭の三冠馬による対決が実現した[32][33][34]。
なお、世界的には三冠馬同士が対決すること自体が極めて少なく、日本以外の三冠馬直接対決は、日本語での信頼及び検証が可能な出典に書かれているものとしては、過去に下記の3例の事例がある[34]。ただし、三冠馬同士の直接対決はこれまでに世界で十数例実施された事例がある。
3競走全て2着
完全制覇騎手
調教師
脚注注釈
出典
関連項目 |
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